(昭41膳)喜寿同窓会第一部 新校舎見学ツアー(2024.2.14)報告


「喜寿同窓会第一部 新校舎見学ツアーに参加して」
県指定史跡「禾津頓宮跡(あわづとんぐうあと)に心躍る!!

県外の歴史マニアの友人から「大津方面へ歴史散策ツアーバスを出したが、計画コースの膳所高校敷地内にある県指定史跡「禾津頓宮跡(あわづとんぐうあと)」は授業のため、見学出来なかった。ついてはOBの貴兄に写真を撮ってきて欲しい」との依頼があって、そんなのあったかな?と思いながら了解した。
令和6年2月14日開催の昭和41年卒業喜寿同窓会の第1部として「新校舎見学ツアー」を企画いただいたので、友人との約束を果たせると喜んでツアーに参加しました。
定刻前に到着したら、参加者は東京勢始め15~6名、学校からは冨江校長他お二人が待機され、立派なツアーが成立。
早速スタート、玄関入る手前にそれはあった。
平成21年11月25日滋賀県指定「禾津頓宮跡(あわづとんぐうあと)」。頓宮の読みは「かりみや」。在学時の場所は野球グランドの右中間あたり。全体敷地のど真ん中に位置する。同所地上に建築物は不可能ということで大きく計画変更され保存される。聖武天皇が東国巡幸の際建てられた建物跡で、後に遵義堂(膳所藩校)跡地に本校があることと併せ考えると、すごい歴史の中で学んだのだ。

「禾津頓宮跡(あわづとんぐうあと)」の次は学校見学。
校舎入ったらすぐ目に付く文科省お墨付きの平成18年度からの「スーパーサイエンスハイスクール指定校」。平成22年以降国際科学オリンピックに参加し、9回メダル獲得、金3、銀4、銅2個。
京大、滋賀医大との連携授業、ケンブリッジ大学研修もある。生徒数1学年8クラス計360人。国公立大に合格300人。昔より広い教室に40人余り、ゆったりした感じ。
我々団塊世代は子どもの数は250万人で教室はすし詰めの53人で大違い。入学時に既に普通科と理数科に分け、2年時に普通科をさらに文系・理系に分ける。体系的にも理数教育重視が明らか。
授業参観も許してもらえ、物理・化学・生物を参観した。ホッとするサークル活動も気休めに見学。孫世代の生徒達が実にこぎれいな制服で軽快なリュックを背負い、にこやかに歓談しながら歩いていく。アイビールック、VANルックをまとい、肩で風切るヤンキーはここにはいない。
世はIT、DX、AI、データサイエンスだが前身の遵義堂門下生は全方位に多士済々、文武両道で各方面に活躍された。詳細は遵義堂、杉浦重剛先生など皆さんで調べて下さい。
「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」の格言がある。みんながみんな、理数系では我々の出番がない。わが国で初めてデータサイエンス学部を立ち上げた佐和隆光京大名誉教授曰く「文理融合の証としてデータサイエンス学部を成長させたい」。

膳所高校は「かるた選手権」の強豪。会場は地元「近江神宮」。京大も強豪(膳所OB進学)。

2024年2月15日
昭和41年3月卒業生 駒井 久夫

【追伸】私の高校生活の一部
PS1:私の高校生活スタートは用務員室(現在は業務員室)。中学卒業式翌日に野球班へ。
最初の任務はやかんぶら下げお茶汲みへ。ドア開け入ると、大柄で丸刈りの大橋さんが「オー、見慣れん顔やなー、新入生か!頑張れよ!」ひとまず安堵、用事済ませ出口に向かうと細身で黒髪、オールバックの福村さんが近づき、耳元で「がんばりや!」と囁いた。

PS2: 敷地北側の墓地もそのままあった。ファウルボールがお墓に飛び込むと先頭に立って拾いに行った。当時はお茶はいいが水飲みは禁止。チャンスとばかりお墓の手水(ちょうず)場に向かう。ユニフォームズボンポケットに忍ばせた渡辺粉末ジュースの素を掌にあけて水を浸す。極楽タイム