コロナ案じつつ55周年

春日 功(昭42卒)

 今年3月、群馬大学医学部同窓会会員名簿令和3年版が届きました。昭和42年卒業は58名の登録です。前回平成30年版では鬼籍に入ったもの12名に対し、今回1名追加になっただけで、ありがたいことに皆さん元気に過ごしている様子がわかりました。名簿で大きく変わったのは、「勤務先もしくは開業名」の空欄が7から14と倍増していることです。
 昭和42年卒は今年で卒後55年という節目を迎えました。私たちが卒業したころは、インターン制度改革運動が盛んに行われており、非入局(医局に籍をおかない)や国家試験ボイコットが実施されました。「42的結合」などと揶揄された事もありますが、クラスの結びつきは他クラスに負けないと自負しています。卒後数年荻野忠君が同窓会幹事役を引き受けてくれ、ほぼ毎年のように同窓会を開催していました。
 その後群馬在住の筆者が引き継ぎ、ほぼ年1回を踏襲した上、仲間をご当地幹事として札幌(長嶋和郎)、松山(萩山正治)、北九州(米良利郎)、名護(松岡政紀)、大津(大川匡子)、日光(新沢敏章)、広島(小沼杏坪)、横浜(井坂健一)、東京、高崎と全国展開してきました。家族同伴も可能とし非日常を楽しみ旧交を温めてきました。家族的な交流も広がったと思います。
 集まりやすさを考え東京開催が増えましたが、母校のある前橋での開催希望が増え51周年同窓会は前橋で開催。その時の様子は令和元年12月15日群馬大学医学部同窓会会報第256号に報告しました。詳細は省きますが石井ホールでの重粒子線医学研究講義と同施設見学がメインでした。
 翌年も前橋での開催を予定し同伴者4名を含む21名の参加が決まりながら、新型コロナ蔓延のため、直前の1ヶ月前に中止を決めました。
 今回55周年の節目でもあり、何としてもと願っていたところ幸い感染減少傾向となり、「中止」原稿を用意しつつ、電話最終勧誘の慌ただしさの後、5月14日(土)から15日(日)開催することができました。
 土曜日の午後、石井ホールでの後藤文夫君手配による最終受講となるやも知れぬ講演会は、感染制御部部長 徳江豊先生による「新型コロナウイルス感染症の基礎と対策」、医療の質・安全管理部副部長 滝沢牧子先生による「現場をよくする医療安全」と豪華二本立て。両先生とも「あれそれ」症候群の始まっている高齢同窓生に対しわかりやすく講義して頂き、質疑応答も賑やかで60年前の授業風景を彷彿とさせるものがありました。この場を借りて、両先生には厚く御礼申し上げます。
 夜は新前橋「ホテル・ラシーネ」でメインパーティ。感染対策としてテーブル間交流を減らすためと、松山から萩山正治君、さいたま市から橋田昌晴君の希望もありLINEミーティングを利用。物故者への黙祷、同窓会地域貢献賞に輝いた長屋孝雄君、吉松弘君の記念スピーチを交え何人かが近況報告。結局テーブル間交流控えめはほとんど無視され、感染症対策で実行できたのは「集合写真なし」だけでした。またシステム管理と司会を筆者一人で行ったため相当混乱しましたがそこは同級生、昨日まで会っていたかのようなごく自然な流れで会が盛り上がりました。打ち上げの挨拶では目をうるませながら「来年も頼む」というメンバーもいました。
 翌日は12名で開花の始まった大盛況の敷島バラ園でのバラ、そして狭いながらも筆者の庭にある50数本のバラを観賞しました。最後のイベントはホテルサンダーソン「菜々久」での昼食会、景色と料理を楽しみながら歓談、「次回も元気で再会」を誓いました。
 繰り返しますが、ブランクを感じさせない再会の感動、今回もあった卒業後初めての近況報告など同窓会幹事冥利に尽きます。