我が母校の歴史探訪

明治20年7月に兼六園の中に金沢区工業学校と称して開校した母校は、明治34年に現在の本多町に校舎を移転居ました。平成25年、開校してから127年の歴史を積み重ねました。様々な箇所で付け加えるべき事柄が有りましたら併せて資料をお寄せいただきたいと思います。

開校時からの歴史 本校には六つの校名があります。
納富介次郎 略伝
初代校長 納富介次郎の生地や彼の偉業(上海渡航ウィーン万博)や父、柴田花守の紹介など

 

昭和32年に撮影された本校全景です。(創立70周年時)
左側円形校舎(旧金城高校)の前が窯場、グランドに人文字による校章が描かれていますが今は校舎(実習棟)が建ち、校舎址はグランドになっています。