「目標を持ち、強く念じることが大切」ーー東京女子医科大学消化器外科主任教授の山本雅一さん(高校27期卒)が、中学2年生に講演

 5月8日午後、富士高校の卒業生(27回卒)で、東京女子医科大学消化器外科主任教授の山本雅一さんが、都立富士高校附属中学校の2年生120人に対して、「1外科医からのメッセージ」と題して、外科医になるまでの思いや、影響を受けた人、仕事や人生に取り組む姿勢などを語った。「目標を持ち、強く念ずれば、思いはかなう」という力強いメッセージとともに、難易度の高い肝臓の手術の映像を紹介しながら外科医の仕事の魅力を後輩たちに伝えてくれた。

 山本さんは、東京女子医科大学消化器外科で、難易度の高い肝臓、膵臓(すいぞう)の手術を専門にしており、この分野で高度な技能を持つ専門医を育てる「高度技能医制度」の推進者でもある。

 上野校長は、山本さんの講演に先立つ挨拶で「山本先生は、富士高校の卒業生。ご縁があって1時間、いろいろなお話をしていただくことになりました。大先輩に甘えて、きょうは将来の夢を実現するヒントを得てもらいたい」と語った。終始、中学生の表情を観察しながら語りかける山本さんの話に、中学生たちはどんどん引き込まれていった。

 山本さんの講演は、中学2年生の進路探究の授業である「キャリアセミナーⅡ」として行われた。

 山本さんは、まず、様々な人とのつながりの中で、成長し、行く道を決めてきたことを思い出として語った。

 「自己紹介します。私は、富士高校の近くの方南町というところで生まれました。方南小学校と泉南中学を経て、都立富士高校に入りました。高校には、歩いてきたり、自転車で来たりしました」
 「小中高校と生活する中で非常に印に残っていることがあります。小学校のときの担任の先生が、いろんなことを経験させてくれました」
 「一つは家畜の世話。うさぎの世話とか鳥の世話とかをしました」
 「方南小学校の後ろには森があるんですが、そのころ、森を作りました。木を植えたり、花を植えたり、水をやったり肥料をやったりしました」
 「それから、木造の校舎を毎日掃除しました。モップを持ったり、ほうきで掃いたりしました。みんなで掃除するんです。楽しかった」
 「その先生はフルートがうまく、よく吹いてくれました。私たちはウイリアムテルとか、いろいろな曲を縦笛で吹いて、一緒に合奏しました」
 「特に記憶に残っているのが、朗読。朝、授業が始まる前に、いつも面白い本を読んでくれました。先生の読み方もうまく、物語の中に引き込まれました。『トムソーヤの冒険』とかを毎日読んでくれる。本を読むのがすごく好きになりました」
 「先生は、生物のこと、生き物に対する考え方を非常によく教えてくれました。それは、命を大事にしなさい、ということだったのではないかと思うんです。小さな動物、昆虫、鳥、花を含め、すべてのものをいつくしむ気持ちがその時代に芽生えました」
 「小学校の先生との出会いが人生の中で非常に大事な出来事でした」。

 「小学校5年のときに私の父が死にました。肝臓が悪くて34歳で亡くなりました。私が11歳のときです。血を吐いて死にました。どんな病気かわかる?肝硬変という病気でした」
 「どんな病気でもいいんだけれど、肝臓がダメージを受けると、硬く変わっていきます。肝硬変になると、肝臓を流れる血液の流れが悪くなるんです。肝臓には、どこから血液が来るの?腸からくるんだ。肝臓が硬くなると肝臓の手前で血液がせき止められる。その血液が行き場所がなくなり肝臓以外のところを通ろうとする。側副血行路というんだけれど、食道とか胃を通って心臓に戻ろうとするわけ。普通の人の場合、腸の血液は肝臓を通って心臓に行くのだけれど、肝臓の悪い人はそこを通らないで、他の道を通る。そうすると、そこから血が出やすくなってしまう。それを食道静脈瘤っていうんだけれど、それで血を吐いて父は死んでしまいました」
 「50年前のことだけれど、いまだと、それで亡くなる人はいないんですよね。非常に残念です。昔は助けられなかった。医者になろうかなと思ったのは高校になってからだけれど、父のことは頭に残っていたのかな、と思います」。

 「医学部に行く、というのが医者になる前にあるんだけれども、富士高校にいて、比較的数学とか物理が好きでした。コンピューターは、いまは普通のものだけれど、当時は最先端で、これからどれくらい発展していくのかわからないくらい得体の知れない領域でした。コンピューターの仕事をしようかな、あるいは医者みたいな仕事をしようかな、と悩んだ時期がありました」
 「そのときに考えたのは人と接してする仕事が自分にあっているんじゃないかな、ということでした。人と人とのつながりのなかで仕事ができたらいいんじゃないかなと思いました。小学校の先生の影響もあったかもしれません」
 「みなさんはこの後、高校に進むわけで、現時点では、どっちの方向に行くのかはわからないと思います。だけど、興味がある、やってみたいということをやってみたらいいんじゃないかな、と思います」。

 

 「高校では、バスケットボールのクラブを一生懸命やっていました。一つ上にいい先輩がいて、いまでも付き合っています。クラブ活動は楽しく、いまでもクラブの人たちと付き合いがあります。そのときの友達付き合いは本当に大事です。大事にしていただきたい」。

 「筑波大学に入りました。私は大学ができて、2年目に入った2回生でした。当時は周りに何もありませんでした。校舎と宿舎があるだけ。林、沼、舗装されていない道路。お店はない。宿舎で風呂に入って外を見ると、地平線が見えるんですよ。地平線に夕日が沈むのを見ました。すごいところに来ちゃったなあと、びっくりしました」「夜カエルが鳴くんです。こんなにでかいガマガエルがそこらじゅうにいっぱいいて、夜一気に鳴くんです。ぐわぐわぐわと鳴く。うるさくて眠れない」
 「なぜ筑波に行ったのか?いくつか大学に願書を出すので、案内を送ってくれと頼んだら、筑波大学が一番最初に来た。それで、行こうかと思いました。それだけ(笑)」
 「大学生活は、非常によかった。何もないから、夜も、みんなと話したり、飲んだり食べたり、バスケットするしかなかった。友達付き合いが濃厚な時代を過ごせました」。

 「なぜ外科医になったか。写真を見せましょう。この人。日本の外科の中で一番有名な人だと思います。中山恒明先生。厳しい顔してない?この先生が、6年生のときに講義しにきてくれました。筑波大学の外科の教授のボスがこの人だったんです。食道癌の治療成績を上げた人です」
 「当時は、食道癌の手術するとほとんどの人が死んでいました。食道癌になるとご飯が食べられないから栄養が悪い」「食道ってどこからとるか、わかる? 食道は心臓の裏にある。で、右の胸を開く。心臓はちょっと左側にあるから右側から攻めると食道にアプローチできるんだ。食道癌の手術はおなかも開いて、胸も開いて、首も開かなければいけない。3箇所開いて、食道をとったら、胃を食道のほうまで持ち上げる。そういう手術をする。ところが、つないだ胃と食道が栄養がわるいとくっつかない。治らない。この先生の時代は手術した人の9割近くが死んでいた。この先生はまず栄養をつけようとした。胃に穴を開けて栄養のチューブ入れたんです。しばらく栄養をつけて、2回目の手術で胸を開いて食道癌をとった。3回目に胃を持ち上げて食道とつないだ。それで手術で9割亡くなっていたのを3割まで落とることができた。世界中からこの先生のところに来た」。
 「この先生は講演がうまい。すごくうまい。大学の6年生のときにこの先生の話を聞いて魅せられました。どんなことを言ったかというと、外科医、特に、消化器外科医はクリエイティブ、創造性のある仕事だというんです」「なぜか。それは、おなかの臓器を、ただとるだけでなく、《再建》する。例えば、腸をとって、うまくつなぎあわせないとご飯が食べられない。つなぎ方にセンスが出てくる。いろいろな方法が考えられ、一つの手術でもいろんな工夫ができるし、いろいろなことをやることによって、患者の後の回復に資することができる」
 「創造性にあふれた仕事であることを教えてくれたんですね」「消化器外科医は面白そうだということで、女子医大に行こう、と思ったんです」「女子医大が家から近かった、とうことも大きかったですが。職場が近いというのは非常に大事」。

 「この人は、羽生富士夫という世界的な外科医で、膵臓癌の権威です。膵臓って、どこにあるかわかる?胃の裏側にあります。世界で一番膵臓癌の手術をしたとしてアメリカで表彰されました。この先生がもう一人のボスなんですが、非常に厳しい人で、怒られっぱなしでした。口癖が「馬鹿野郎」で、ずっと馬鹿野郎と言わ続けてきました。怖いけれど温かみのある人でした」

 「もう一人。手術をしているのが高崎健先生。この人も世界的外科医です。肝臓の手術の工夫をしました。この先生も厳しい人でした」。

 「いまはだいぶ、手術が変わりました。いまはおなかを開かないで手術をするんですよね。腹腔鏡手術。おなかの中にカメラを入れて手術をします。確実に時代は変わっています。いまはおなかを開けている手術が将来はおなかを開けないで済むようになるでしょう。もしかしたら、ロボってによる手術になる」
 「いまでも前立腺腫瘍などはロボットで手術をしたりしています。なぜロボットのほうがいいと思う?一つは《よく見える》。狭いところがよく見える。もう一つは、《手が震えない》。細かい手術ができる。ロボットのアームは人の手が多少動いても動かないから、細かい手術ができるんだ。ロボットは、狭い視野での細かい手術が得意」「前立腺ってどこにあるかわかる?膀胱の出口のところにある。男性にしかないよ。お尻の穴の近くにある。そこにカメラを持っていって狭い視野で手術をする」「ロボットの視野で見ると3D で細かいところまでよく見える。視力が落ちても、手が震えてもある程度できる。高齢の外科医でも手術ができるかも。高齢の外科医に手術してもらいたい?(笑)」。

 子供たちの視点や気持ちに近いところで、語りかけるように話を進める山本さん。医師への関心が高まったと見計らったところで、一つの提案をした。

 「さて、どうだろう。手術を見てみたい人?」
 (大多数の人から手が挙がり)「ほお」。
 「じゃ、見たくない人?」
 (数人から手が挙がる)「見たくない人は見なくてもいいけれど、何分くらい見せようかな」

 「手術の映像を見せる前に、一つだけ言っておきます。私はずっと手術をやってきて、若い外科医を育てています。外科医になったとして、どんな外科医になるかというのは、自分が決めていくことだと思うんです」
 「いまから、肝臓を切る手術を見せますが、肝臓切る手術というのは、それなりのトレーニング経た人じゃないとできないんです。まず患者さんを一生懸命みる努力をする人じゃないとできない。そのうえで、自分自身がどんな外科医になるかを強く思わないといけないのです」
 「昔は、消化器外科医というと何でもやりました。食道も、胃も、大腸も、肝臓も膵臓も–。でも、いま細分化してきている。肝臓の医者、膵臓の医者というふうに細分化している。そうすると、そのなかで《自分は肝臓を切る外科医になりたい》と強く思わないと肝臓外科医になれないんです」
 「これって大事なことで、別のことでも言えると思うんです。最初にまず、みなさんが、《医者になりたい》と思ったら、強く思い続けないと医者になれない」
 「どんな仕事でも一緒。プロ野球のピッチャーになりたいと思ったら、やはり、それを思い続けないとだめです。強く思う。毎日思う。絶対なるんだと思うというのは、大事だと思います」
 「外科医になっても、どんな外科医になるかというのを自分で思い描き、こんな外科医になると思わないと、なれない」
 「これだけは真実です。私はたくさんの外科医を育ててきましたが、一部の人だけしか肝臓を切る外科医になれないです。その一部の人は強く肝臓を切る外科医になろうと思い続けただけです。思い続けて努力すれば絶対にできます」
 「(外科医の適性は)手先が器用だと、そういうことではありません。とにかく、なりたい、やりたい、と思い続けることが絶対必要です」。

 手術のビデオを見る前に山本さんが何度も強調したのは、《目標を持ち、強く念じる》ことだった。

 「では、手術を見ようか」
 「ちょっとだけ説明すると肝臓には血管が入っています。これが門脈で、これが動脈。この血管を処理して肝臓を切っていきます。これは肝門部胆管癌を切る複雑な手術です」
 「見たくない人は下、向いててね。音は出ないからね。いい?大丈夫?」

 (約10分、手術映像を流す)

 「これは、肝十二指腸間膜といって、ここに血管が走っている。肝臓に行く血管が。動脈と門脈が走っている。血管の周りにリンパ節というのがあって、リンパ節をとる手術。これは肝動脈。間膜のなかから動脈を取り出しているんだ。これは右の肝動脈。これを結さつ(縛って壊死させて)切る。最近はエナジーデバイスって言って、ハサミじゃなくて、このようなエネルギーデバイスを使って切っていく」
 「これは胆管。こっちに見えているのが門脈。胆管を切る。この人は癌ですから、ここまで癌があるかないかを調べるために胆管の断端を術中に病理の所見に出すんですね。この周りにあるのがリンパ腺です。肝門部胆管癌というのはこのへんに癌があるんだけれど、こういうところにリンパ節転移してくるんです。そういうのを一緒にきれいに剥ぎ取っていく手術なんだ」
 「これは左に門脈で、細い血管が走っているんだけれど、それを結さつして処理しているところです。細かい操作が必要とされます」
 「これが左の門脈でここに癌がある。だから、ここで血管が塞がれてしまう。これが肝臓です。こちら側にいく血流を遮断したので、肝臓の色が変わっているんですね。これから肝臓を切ります」
 「こちら側に向かっているのが肝静脈といわれる血管で、肝臓を切っていくときに脈管をきちんと確認しながら切っていくわけです」
 「今度は胆管を切るんです。これが胆管。糸で結んで切りますよ。胆汁がちょっと出てきます。やはり、ここに癌がないか、手術中に調べるんです」
 「腸から肝臓にいく血流なんだけれど、ここに癌があって塞がってしまっている。なので、この血管を切り取ります。血管を切って縫う。こうやって糸で縫うわけです。門脈という血管です。薄っぺらいんだけど、こうやって縫っていくんです。裁縫と一緒だよね(笑)。肝臓が取り出されます」
 「真ん中に白く見えているのが下大静脈といって足から心臓にいく太い血管です。これが右肝静脈。肝臓から下大静脈に入る、一番太い血管です。これで肝臓が取り出されました」。

 「どうだった?」
 「感想は」

 「リアル」「想像以上」「迫力ある」「ノーコメント」「医療ドラマの比じゃない」

 「手術のビデオを1回見たくらいでは、わからないと思うけれど、いまね、6割近くの肝臓を切ったんですよ。そこまで切っていいというのを知らなかったら手術できないわけです。もう一つは、こうやったらとれるということを知っているということです。最終的にこういう像になるというのを知っているということが重要だと思うんです。最後、肝臓を取り出したでしょう?あのときに、どういうふうになっているかを知っていれば、そこに近づけることができる」
 「そこまでやるためには、どうしても技術が必要です。技術を得るのに何年か必要です。最低でも10年かかります。道具に慣れないといけないし、さまざまなことを理解するのに時間がかかる」
 「外科医には、サイエンスとアートの両方がないとダメだと思います。それがあることで、このような仕事ができると思っています」。

 「もう一つ、みなさんにメッセージを贈るとしたら、《困難なことに挑戦する》のが重要だと思います。自分にとって困難なことって、いっぱいあると思うんだけれど、そこから逃げる人生ではだめだと思います。逃げたらあかんで、ということだと思います」
 「何かが来たら、この野郎って向かっていくくらいじゃないと、面白くないよ」「時間はすぐにたってしまいます。私自身の気持ちは富士高校にいた40年前と変わらないつもりでいるのだけれど、40年とか50年とかいう時間は、あっという間にたってしまう。そして、必ず人間は死ぬ。どうやって生きるんだと考えたときに、安易な方向に行かず困難なことにチャレンジしてほしいなと思います。そこから、新しいこと、新しい世界が開けると思うんです」。

 「これは私が、手術や講演をしに行った場所です。アジア、ヨーロッパ、南米などに行きました」

 「なぜ働くのか?を考えることも大事です。なぜ勉強するのかも一緒。なぜ働く? 生きていくため?死なないため?それはどういう意味? 大金持ちは働かない?」
 「これは、簡単じゃないね。でも、人間って、働かないと生きていけない動物だと思います。もし世の中で自分一人しかいなかったら、働くか?働かないと思う」
 「一つは、他人があって自分がいる。他人との関係で、自分自身がどう働くか。働き方によって、他人が自分を認めてくれる。そういうことが重要かな」
 「いやいやながら働くのと、自分から進んで楽しんで働くのはどちらがいい?」
 「どうせ働くなら自分から進んでやりたい仕事をやるのがいいと思います」
 「やりたくないことを仕事にされて、ずっとやれって言われたら、どうだろう。生きていけないね」

 「人生とは何かと問われて一言で言うのは難しいけれど、先ほど紹介した中山恒明先生は『人生とは経験である』と言いました。いろんなことにチャレンジして、いろんなことを経験してください。人生は、思いの外、短いです。みなさんの先には果てしない時間流れているように思うかもしれないけれど、そんなことはありません。ほんの一瞬です。まばたきしていると50年たってしまいます」
 「やりたいことを一生懸命やる、いろんなこと経験することが人生です。思い切り勉強し、思い切り遊び、クラブ活動もして、いろんなことを経験して、悔いのないようにやってください」。

 「このなかから医学の道に進む人がいれば歓迎します。いまは高齢化社会です。医療にすごく人材が必要と思うからです。このなかから医療の道に進んでくれる人が出てきてくれることを期待します」
(文/高校27回卒・相川浩之、写真/同・落合惠子)