100周年事業検討委員会発足、2020年の記念事業などを検討

 2020年に都立富士高校が創立100周年を迎えるにあたり、どのような事業をどんな態勢で行うかを検討する「若竹会・母校創立100周年事業検討委員会」が4月25日午後、都立富士高校校長室で開かれた。10人の委員のうち、9人が出席。自由に意見交換した。

 委員会は、須知正度若竹会会長、上野勝敏都立富士高校・附属中学校統括校長(若竹会名誉会長)のほか、須知会長が委嘱した以下の委員で構成する。
 上瀧守さん(高校22回卒)、反中章子さん(高校23回卒)、増山秀人さん(同)、安倍宏行さん(高校26回卒)小久保隆さん(同)、飯島章博さん(高校31回卒)、神津伸子さん(同)、芳根聡さん (同)。

 芳根さんを除く9人が出席、2時間にわたり議論した。

 100周年事業検討委員会は事務局を設置。若竹会側が高校27回卒の相川浩之、落合惠子、榊原和加子、鈴木眞理、学校側が、29回卒の岩越司、38回卒の橋場友彦が担当する。

 冒頭、須知会長が「母校の富士高校は2020年に創立100周年を迎えます。それに向けて、今後の礎となるようなことができればと思っています。今日お集まりの皆さんには、フレッシュなお知恵を拝借したいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします」と挨拶。

 上野校長も「富士は中高一貫教育校になりましたが、富士の伝統は脈々と続いています。2020年の富士の100周年を目指し、先輩の方々に安心していただけるような学校にしていきたいと思いますし、同窓生のお力添えでなんとか100周年を盛大に祝えるようにしたいと願っております」と語った。
 事務局から⑴若竹会・母校創立100周年事業検討委員会設置要綱、⑵若竹会記念行事の資料について説明した後、各員から自己紹介と一言コメントをいただいた。
 上瀧(22期)「第五高女から中高一貫校になった現在までを網羅するようなうまい形で記念事業ができればいいなと思います」。
 反中(23期)「私と隣にいる増山さんとは同期で90周年のときにDVDを制作しました。第五高女からのエピソードを10個くらい集めて作りました」。
 増山(23期)「100周年でやりたいと思っていることがあります。皆さんの了解を得て、ぜひ、やらせていただきたいと思います」。
 安倍(26期)
 小久保(26期)「音の環境デザインや癒し系の音楽の制作に携わっています。イベントや音楽関係でお役に立てればと思います」。
 飯島(31期)「卒業以来、若竹会とは関わりがありませんでした。何もわかりませんが、どうぞよろしくお願いいたします」。
 神津(31期)「私も飯島同様、若竹会と関わりがなかったのですが、今回、委員会に参加させていただくことになりました。人を集めることがいかに大変かということはわかっています。皆さんが楽しんで集まれるようなものができればいいと思います」。
 芳根(31期)
 企画メモ「愉快であること」「100周年の歴史に自分たちが参加、存在していた足跡、秘蔵写真、共有できる思い出(情報)」「合同クラス会(31期は同期会をこう呼んでいる=事務局註)マニュアル。各期のキーパーソンをつなぐきっかけに」「大人の文化祭」。

 須知会長が上瀧さんを委員長に推薦。全委員が了承し、上瀧さんが以降、議事を進めた。
 以下、主なやりとりを掲載する。

上瀧委員長 「上野校長、100周年に関して学校側のイメージはありますか」。

上野校長 「周年行事は、学校の体育館等で執り行おうと考えております。生徒が参加し、教育委員会からもご出席いただきます。そして、若竹会の皆様からご推薦いただいた方に記念講演をしていただくといいなと思っております」「100周年の記念誌を作りたいと思います。学校側が作成する記念誌と、若竹会が編集する記念誌を分冊で作って1つにできれば、一番わかりやすくていいと思います」「もう一つが祝賀会です」。

上瀧委員長 「学校側からは記念講演、記念誌、祝賀会という話がありましたが、それ以外にも、どういうことをやっていったらいいかということで、ご意見をいただけますか」

増山 「新宿・歌舞伎町にある弁天さまのところに第五高女の記念碑を建てられたらと思います」校歌「第五があって富士というつながりを考えるならば、第五の校歌を管弦楽で演奏してほしいです」「NHKの『花は咲く』のようなイメージで、第五の方にも参加していただいて、第五の校歌と富士の校歌をつなぐような形で歌えたらと思います」「第五の校舎は資料を読むと、薄緑色だったようですが、モノクロの写真しかありません。これを特殊な技術を使って、再現し、カラー写真にできないかと思います」「最後に、学園祭のときに作った過去の映像作品の映像アーカイブスを作りたい。個人が秘蔵している70年代の8ミリ、シネフィルムを表に出して、保存できる形にして、保存できればと思います。そのあとの、ビデオ作品や、最近7〜8年くらいで父母の会の方が保存している映像作品も、合わせてアーカイブにしたいと思います」

飯島 「祝賀会とか記念行事は堅苦しい感じがします。芳根君が言ったように、学校で各年代1教室くらいを借りて、大人の文化祭が1日くらいできないか。バンドをやっているような人は体育館で演奏する。各世代有名な方もいるので、そういう人を紹介するとか、ある教室では漫才をやるとか、世代によって好きなことをやればいいと思います。そんなことができるならば、行きたいと思う人が多くなるのではないでしょうか」。

神津 「クラブ活動で、硬式テニスと男子バレー部のマネジャーをしていました。自分の富士高時代を振り返ると、スポーツ、部活動との関わりが深かったので、そういう自分の思い入れがあったものを軸にすれば、卒業後、何年たっても行ってみたいなと思うのではないでしょうか」「一方で、著名な卒業生などの話を聞く機会などを設けるのも、在校生に夢を与えられるかもしれないので有意義かと思います」。

上瀧委員長 「事務局でもいろいろ検討していると思います。イベントに関して、事務局で話し合ったことを話していただけますか」

事務局 「クラブ活動を中心に音楽会や美術展をやるとかして盛り上げるというやり方はあると思います」「そういったことは2020年に限らず、その前にプレイベントとしてやってもいいかもしれません」「祝賀会は、若い人が参加したくなるような内容を考えて実施することは大事だという指摘もありました」「祝賀会については、縦の交流があまりできなかったという反省が理事会などでもありました」「第五高女の方が放っておかれるようなことにならないようにしたいという意見は強かったです。第五の方が盛り上がるようなものを考えることも必要と思います」。

上瀧委員長 「安倍さんが来られました。一言お願いします」

安倍(26期) 「100周年というのはすごいことなので、なるべくたくさんの方が出席できるようなものにしたいです。先日、中学2年生に話をさせていただきましたが、非常にレベルが高く、多摩のほうから入学したいと来る生徒もいるらしいです。新しいフェーズに入っているという感じがしました。OB、OGは富士がいま、こうなっているということをご存知ない方がほとんどなので、《新しい富士》をみんなが感じられるようにもしたいなと思います」。

上瀧委員長 「私は、お金を集めたい。子供たちのスポーツ、学業、文化的活動などを奨励するようなものができないかと思います。もちろん、学校側との調整が必要ですが、できるならば、学校を応援したい。60周年のときに1100万円を目指して募金を募ったらしいですが、今回もそれなりの金額を目標に募金をやりたいと思います」「美術展、音楽会みたなものは2020年より前から仕掛けていって、盛り上げっていって2020年を盛り上げたらどうかなと思います」「学校や先輩に対しては感謝の気持ちを表したい。仲間の間では友情を高め合いたい。後輩にはサービスをしてあげたい。感謝、友愛、奉仕の三つを考えていきたいと思います」

上瀧委員長 「いま、いろいろなアイデアが出ました。祝賀会をどうするのかとか、記念誌の話。それから、反中さんから、以前、学校に埋もれた貴重な資料があるので、それをきちんと整理したいという話がありました。アーカイブしたいのは文章もあれば映像もあるわけですね。文化祭的なもの、講演会をどうするか。あと、OB、OGが集うというところにポイントがあるものと、在校生のためになることをするという話もありました」。「いろいろなアイデアがでましたが、それをどのように、だれがやっていくかという問題があります」「この検討委員会は、実行委員会をどのように作るのかというのを決めていかなければなりません。今日の段階でそれは決められないと思いますので、もう一度、この会議をやらせていただいて、それまでの間に詰めておきたいのですが、今日は決め方や推進する人の探し方などだけを議論したいと思います」「ここにいる人たちだけでやるわけにもいかないので、いろいろな仕事にふさわしい仲間がいたら、その人たちにやってもらいたいと思っています。で、その人たちをどうやって探そうかという話なのですが、私は、若竹会の理事さんたちを通じて集めるしかない、というイメージなのですが」。

事務局 「理事は若竹会と各期を結ぶ窓口とも言える存在で、若竹会の情報を各期に流したり、各期の情報を若竹会に伝えたりする重要な役割のはずなのですが、自分の期の理事がだれかわからないという期も多く、理事制度が完全には機能していないというのが実情です」。

須知会長 「連絡のとれない理事をなくし、各期と理事を通じてしっかり連絡をとれるようにしなければいけないと考えて、対策を講じようとしているところです。100周年のアドバルーンを上げる前に、そういうインフラの整備が重要になっています」。

上瀧委員長 「理事を通じて、がいいと思うのですが、そうでなければ、ここにいる委員が自分たちのつながりから、いろいろなプロジェクトにふさわしい人を探していくしかないでしょう。しかし、会長が言われるように、若竹会の足腰がしっかりしていないとだめですね。これから足腰がしっかりするように努めながら、進めていくしかないですね」「まだ20年までには時間がありますから、アイデアを出しながら、理事の整備をして、そこからいろいろなプロジェクトにふさわしい人を見つけていく。そういう形かもしれませんね」。「この委員会の要綱には分科会を置けるという規定もあるのですが、いろいろな企画を考える部門、お金を集める部門、お金を管理したり会議の庶務をしたりする部門などは必要ですよね。そういうものを置いていって、そこでそれぞれ仕切っていく、という形になってくると思います。次回は必要に応じて分科会を置く、というところまで決めておきたいです」

事務局 「事務局として進め方も検討しました。お金はいくらかかるのか、それぞれのプロジェクトごとに目標額を明確に掲げ、それぞれに対して、寄付を募る“クラウドファンディング型”の募金を考えるという案が出ました。目標額に達しないプロジェクトは実行せず、担う人も集まらなければ、やらないとはっきり決めておきたいです」。

小久保 「イベントをどう作るか、というのをイメージするためには、イベントの目的を明確にしてほしいですね。100周年記念でなんらかのイベントをしようというときに、それは何のためにやるのかというのを明確にする必要があると思います。例えば、中高一貫校となった富士をもっとみんなに知ってもらうということなのか、古い人と新しい人との交流ができていないから、それをうまく進めるのが大事なのか。“盛り上がる”という言葉だけだと、イメージしにくいですよね。もう少し、目的を絞ったほうがいいのではないか。この場ではそうした方向性を議論すべきかと思います」。「ディテールが先に出てきて、だから大きな目標はこうなのだろうということもあると思いますが、大きな目的のところに焦点が合わないと、自分がイベントプロデューサーだったときに、なんのために行うか、何をもって成功とするのか、というのが明確でないと、では、こういうことをしようとアイデアが湧いてきません」。

事務局 「極論ですが、現時点では、100周年で切りがいいから事業をやる、と言っているだけかもしれません」。

飯島 「でも、100周年ってすごいですよね」。

上瀧委員長 「100年続いたのだから、200年目指そうという気持ちになりますね」

事務局 「次の100年を目指す、といったキャッチコピーは必要ですね」。

須知会長 「いまの高校生って、私にとっては、孫の世代なんですね。だから孫へのバトンタッチということもあるんです。私は子供のころ、祖父、祖母から教えられたことのほうが父親から学んだことよりも印象に残っています」「私が会長になってから、同窓生講演会をやったり、安倍さんに中学生にお話をしていただいたりしましたが、そういうことをやることによって、僕は気づいてくれると思っています。富士の人たちって、同じDNAを持っていますから。そういうことが恒常的にできるようなスタートの年にできないかなと思います」「それを地道にやっていくためには何をしなければならないかというと、理事のネットワークの整備とか、そういうことなんです」「みなさんからいろいろアイデアが出ていましたが、やはり2020年だけでなく、できるんだったら、音楽、映像、絵画、文学などの分野で3カ月に1回くらいプレイベンとしてできれば、現役の生徒さんたち、そして卒業して間もない若い世代の人たちが来て、それを見て、同じ文化を持っているということを感じてもらえるのではないでしょうか」。

上瀧委員長 「在校生やOB、OGからキャッチフレーズとかシンボルマークを公募するといったこともありますね」「いずれにしても、ヒト、モノ、カネのところをもう少し詰めないといけませんね」「若竹会側事務局も個別に意見があれば」

榊原 「去年、富士祭にお邪魔したときに、薙刀部があって、茶道部があったんですね。これ、いつできたんだろう、と思いました。100年の歴史を考えると、富士高校ってどんどん変身していっている。自分のいた体操部は、もうなくなっているんですね。例えば、部活の流れみたいなものを追いながら、時代の流れと照らし合わせると、富士高の別の側面が見えるのではないでしょうか」。

落合 「私も若竹会の役員になるまで、富士校の歴史を知りませんでした。いろいろなイベントに参加して、第五高女のあった場所に行ってみたり、古い若竹を読み直したりして、『これは大事なことだ』と思うことがありました。また、校長先生に中高一貫校になって学校の名前がなくなってしまったところもあり、同窓会が残っているのは素晴らしいことですよと伺って、すごく感動しました。それで100周年はしっかりやらなければという気持ちになりました。みなさんが同じ気持ちで100周年を迎えるためには、歴史を振り返る、これまでの歩みをしっかり捉え直すことが重要と思います」。

上瀧委員長 「共感が大事ですよね。気持ちが揃うということ」「お金の説明も事務局からしてください」。

事務局 「若竹会の先輩たちが会館を作ろうということで集めた『若竹会基金』というものがあります。いままでの周年事業はみな、このお金を使っているようですが、せっかく100周年という大きなエポックなのですから、今回は、資金をしっかりと集めるべきではないかというのが事務局の意見です」「毎年の予算が卒業生の数が減っていることで赤字になっています。毎年の卒業生の払う会費だけでは、会報『若竹』の発送費を賄うだけで終わってしまいます。卒業時の会費を値上げしようという案もあるのですが、若い卒業生にだけ負担をかけていいのかという意見は強いです。100周年は、改めて、現在の若竹会会員から会の運営費を徴収する機会にもなるのではないかと思います」。

上瀧委員長 「こういう収支の状況をみると、お金集めが必要と感じますね。子供たちからお金を倍とれとは言えないから、やはり既存会員から集める必要があるのでしょう」。

小久保 「さきほど事務局の説明の中にも出ていましたが、いまの時代だと、クラウドファンディングのようなスマートなやり方もありますから、企画はこうで、そのために予算これだけだということを明示してお金を集めるのも手ですね」。

神津 「やはり、子供を育てるという観点を打ち出したほうが、お金は集まるような気がしますね」。

反中 「寄付を集めるにしても会誌の力は大きいと思います。特に年配の人には会誌で働きかけるといいのではないでしょうか」。

上瀧委員長 「私の期でもあいつだったら、こういうことをやってくれるのではないかという人はいます。それぞれの期で、理事さんにそういう人を探してもらう必要がありますね。次回までに、多少でもプロジェクトを担ってくれる候補を探してくるということではいかがでしょうか」。

安倍 「中心となる年次はどうするんですか。80歳以上の人まで、絡んでもらうわけにはいかない」。

上瀧委員長 「我々くらいまででしょうね」。

事務局 「今回は22期から31期までの10年間で委員を選びました」。

安倍 「40代くらいにならないと同窓会に関心を持たないけれども、40代はとても忙しいので、今回の委員くらいの年代がやらざるを得ないんです」「我々の周りで、こいつは動きそうだな、という人間をまず探しましょう」。

上瀧委員長 「ここにいるメンバーでだれかふさわしいと思う人が周りにいたら、その人に声をかける手もあるし、それだけでは広がりがないと思うならば、理事という制度がせっかくあるのだから、そういう人たちにも話をもっていけばいいと思います。お金集めなどは期ごとにやったほうがうまくいくと思います」。

安倍 「OB、OGだけでなく、現役も巻き込んでパネルディスカッションをしたりするのも有意義だと思います。老若男女が一緒になって、富士高をどのようにしていきたいのか考える。そういう未来志向の企画は、若い世代をやる気にさせると思います。僕らもこのおじいちゃんたちに言っていいんだと思わせる」

上瀧委員長 「今日はどういうアイデアがあるかということと、全体でコンセプトをもう少ししっかりさせないといけないということを話しました。次回までに、コンセプトとやるべきイベント、そして担当者くらいの素案を作れればと思います」「共感を得る仲間を広げていく作業も重要だと思います」。

 次回会合は9月26日。その前に、若竹会の各期の代表が集まる理事会が6月にあり、こうした機会も利用して、100周年事業について、会員に周知し、参加意識を盛り上げたい。

(事務局)