明中・明高史に残る足跡

4 球史に残る延長25回戦

 今も高校野球の激闘として度々語られる昭和8年夏の甲子園野球大会準決勝、中京商業対明石中学校の延長25回戦は、本校同窓生として忘れてはならない歴史でしょう。
 この時に贈られた善闘記念牌を基に、昭和9年3月、グラウンドのバックネット裏に善闘記念碑が建立されました。また、校門近くには、野球部の甲子園出場を記録する闘魂碑が建立されています。

 

善闘記念碑
闘魂碑

 この激闘のおかげで、明石高校出身という話をすると、「あの25回戦の?」という話題につながり、公私にかかわらず親しみを持ってもらったり、顔を覚えて貰いやすくなったりした経験を持つ同窓生が多くおられると聞いています。

25回戦の熱闘を見届けた赤い陣羽織、母校資料館に寄贈される

 1933年、高校野球の歴史に残る熱闘25回戦を戦った選手14人の直筆サインが入った赤い応援陣羽織が、この度資料館に寄贈されました。
寄贈主は明中3回生の田中庸介氏(故人)のご長男の田中良夫氏(66)で、8月21日資料館に持参された良夫氏から自彊会和田直樹会長が受け取りました。
 この赤い陣羽織は25回戦試合当日、応援団長をしていた庸介氏が甲子園の応援席で羽織っていたもので、後日選手全員にサインをして貰って、田中家で保管されていました。

 明石中学の校章を中央に挟んで「記念超記録二拾五囬戦 昭和八年八月十九日対中京商業戦」の文字刺繍が施され、楠本保、中田武雄の両投手、嘉藤栄吉内野手やベンチに入った選手全員の直筆のサインが残っています。
 良夫氏が御父上から聞いたところによれば、試合当日9回で決着がつかない熱戦のラジオ中継を明石で聞いていた市民は、大挙して電車に乗り甲子園に向かった。それでも試合の応援に十分間に合ったとか。
 この貴重な赤い陣羽織は、母校創立100周年に向けて整備が進む資料館に保存、展示される計画です。(佐々木)

寄贈された陣羽織

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今回の寄贈について8月22日付けの毎日新聞に取り上げられました。記事はWEBでも見ることができますので、検索してみてはいかがでしょうか。