100年の沿革

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弘法山の校舎

大正11年1月より大正12年1月まで使用

弘法山時代の国府高女の正面玄関

大正13年1月まで使用

古い校舎風景

市立実科女学校・現在の豊川市立豊川小学校

ひょうたん池

下坊入の現在地 取り壊されるまで愛された国府高校の女学校時代からの記念造形物。現在のもので三代目。ひょうたん型をした池である。各地にあるが、本校のものは、同窓生が作っており、かつては灯籠を含む日本庭園の中に位置し、池には同窓生寄附の鯉が泳いでいた。80周年事業の中で、ひょうたん池は現代風になり、回遊式の庭園とはやや趣きを異にしたものとなる。

国府高等女学校正門

昭和12年完成 昭和35年本館工事で取り壊された

旧校訓碑

 

昭和15年創立20周年に制定。「質実 温雅 創造」 令和2年6月、創立100周年正門整備の際、光風会館横の日本庭園に移設した。

校舎

昭和36年 第1棟・愛知県下一長い廊下が当時話題

校舎風景

昭和44年航空写真

校舎風景

昭和50年頃と思われる。卒業アルバムから。マンションやアパートの建設前のレンゲ畑が懐かしい

旧正門・中庭

創立100周年記念事業で、現正門に整備されたがそれ以前の正門・中庭

卓球会館(旧図書館)

昭和25年、県下最初を誇る独立図書館として開館。専門の司書も置き、館則、運営規則も置く当時としては画期的な図書館であった。昭和36年、本館建築後11年の任期を終え、本館の3階へ移った。旧図書館の建物は、当時全国レベルにあった卓球部のため改修して、卓球会館となる。平成18年9月19日(火)から同年11月30日(木)まで取壊し工事を行い,56年間の歴史に幕をおろしました。跡地は駐車場になりました。

光風(こうふう)会館

昭和47年、同窓生の親睦のために設立。現在は、同窓生のための集まりや、在校生の憩いの場所として活用される。2階は茶道・作法室。1階は購買・食堂に利用される。

第57回全国高校野球選手権大会出場

昭和50年、本校野球部は愛知大会で見事優勝し、第57回全国高校野球選手権に出場した。
写真は、8月7日開会式で夢に見た甲子園で堂々入場する野球部の諸君。

朱夏の碑

『蘇る樹頭の華や 朱夏の天』と記銘。豊川海軍工廠で被爆し、命を落とした教え子のために、当時の教員太田鴻村氏の句を、石川雲鶴先生が揮毫して、藤原克博氏(当時の生徒)のイメージを御影石に映し出した。その内部には、28名の犠牲者の名が刻まれた名簿が納められている。本校のシンボルの一つ「大王松」の下に立つ。平成元年、70周年記念事業の一環として建立。

校訓碑

国府高等学校の新たな校訓碑。『学学術・為当為』 国府高校・作 大河原皓視元校長・書 権田拓朗氏。第56回卒業生記念碑でもある。平成16年3月1日建立。

正門

創立100周年記念事業として整備。令和2年8月24日正門・中庭等整備記念式典を開催。正門の壁には校章を、フェンス・ロータリーには、創立100周年の取り組みであったSI(スクールアイデンティティ)で決定したスクールマークが描かれている。