幟旗の文化を世界に発信—―北村勝史さんが同窓生講演会で、貴重な幟旗を展示・解説

2012年10月に第一回を開催した「若竹会同窓生講演会」も、3回目を迎えた。

5月10日(土)、今回は高校9回の卒業生であり、幟旗の収集家・研究者の北村勝史(よしちか)氏をお招きし、高円寺地域区民センター「セシオン杉並」の展示室を使って行った。 

会場には、朝9時から約3時間かけて、北村さんご自身の手でコレクション30余点が壁やパネルに展示され、タイトルの「江戸期の幟旗の魅力―端午の節句に因んで―」にふさわしい雰囲気が出来上がった。

北村氏は、1938年静岡生まれ。小学生の時、骨董を愛したお父様から言われた言葉「お前には骨董のセンスがある」が、忘れられないという。

そのお父様が亡くなられたあと、小学校5年生の北村少年はお母様とお兄様と3人で東京・中野で暮らし始め、中野第三中学校を経て、都立富士高等学校へ進学。

当時の富士高は女子が200名に対し男子が100名。優秀な女子が多く、圧倒的に女性上位。進学のための勉強漬けの3年間であったが、大学に入学し、それぞれの進路が決まった頃、高校の仲間との楽しい交流が再開したということだ。「清らかで、純粋な時代」として今も大切に心にしまわれているという。

立教大学経済学部を卒業された北村さんは、日本IBMに入社。最後の職場の人事部ではリストラを推進したが、ご自身も早期退職の道を選び、第2の人生を歩き始めた。55歳のときのことだ。

IBMで身に付けた経営計画策定の方法を生かし、まず75歳までの自分の人生をプランニング。30代から少しずつ始めていた骨董品、中でも幟旗の収集に本格的に取り組むことにし、家賃や人件費がかからない露天商という仕事を選ぶ。

神社の境内などで見かける露天商。サラリーマンから露天商へという転身は大胆だ。北村さんご自身も、「大変だった」と述懐される。

それから20年が経った75歳のいま、北村さんは「目標として掲げたことは、すべて実現できた」と語る。質の高い幟旗コレクションができあがり、国内外の美術館で発表することができた。本も出版し、大学では講師として教鞭をとる。そして、これから90歳までは、「第3の人生」を計画されているという。

「先に目標を掲げることで、そこまで人は寿命を与えられるような気がする」。
常に目標を持ち計画することの大切さを繰り返された。

(オランダ・ロッテルダムでの展覧会)

北村さんが、第2の人生の中で、大事にされてきたのは、多くの人との出会いであり、その出会いを疎かにせず信頼関係を築いてこられた。

会場にも持ち込まれたスクラップブックの中には、一つひとつの出会いを大切にする北村さんの人生そのものが詰め込まれていた。

北村さんご自身の生い立ちとコレクションの成り立ちについてのお話のあと、幟旗の歴史や鑑賞方法、端午の節句のいわれなども短い時間の中でたっぷりと聴かせていただく。

神社に奉納された幟は信仰の対象であり、五穀豊穣や子孫繁栄の祈りが込められ、節句幟には、子の健やかな成長を願う思いが込められているものである。飢饉によって多くの人が亡くなった江戸時代には、こうした「祈り」は「逆境からの脱出」というポジティブなものであり、幟旗からはその迫力・エネルギーを感じとることができる。

「鯉のぼり」は、鯉が急峻な瀧に何度も挑戦し、登り切ったものが龍に出世するという「登龍門」の話から生まれた。子に託す親の願いがこもっているのである。

今回は92人の出席者のうち、約3分の1が北村さんの同期の方々。講演会終了後には北村さんを囲む温かい交流の輪ができていた。

(高校9回卒の同期の方々)

約20年先を歩まれる北村さんのお話は、私にとって示唆に富むものであった。
そしてまた、コレクションの展示陳列や後片付けをお手伝いさせていただくなかでも、今日一日多くのことを学ばせていただいた。 (高校27回卒・落合惠子)