横尾英子×高橋明也対談~絵画人生と美術の楽しさを語る

 「横尾英子日本画展~漱ぐ」(11月1日~16日、東京・杉並の葉月ホールハウス)のオープニングイベントで、横尾英子さん(高校31回卒)と三菱一号館美術館館長・美術史家の高橋明也さん(高校24回卒)の対談が実現した。テーマは「ようこそ、高橋明也先輩!~同窓生として語りたい、絵画人生へのいきさつと覚悟」。菅野朝子さんのヴァイオリン・ソロの後、二人は、絵画の道を志したきっかけから、美術論まで、幅広く語り合った。

横尾 今日は3連休の初日にもかかわらず、お集まりいただき、ありがとうございました。

高橋 私は、住まいが、たまたま、ここから歩いて5分ぐらいのところなので、すごく近かったです(笑)。
 前に私が都立富士高校の同窓会「若竹会」の講演会でお話ししたのが、今日のイベントのきっかけなんですよね。

横尾 私は高橋先輩のお話は高校生時代から美術の先生に伺っていてお名前は存じていたのですが、先日、講演会で先輩のお話を伺って、入るべくしてこの世界に入られたのかなと思いました。今日は私の個展にわざわざ来ていただき光栄なのですが、そのあたりからお話を始めていただけると–。

高橋 たまたま、こういう仕事をずっとやっていますけれども、高校時代は自分が将来何をやるのかは、よくわかっていなかったと思います。
 高校時代は新宿も近く、よく授業をサボって名画座やATG(日本アート・シアター・ギルド)などを見に行ったりして、映画は面白いと思いましたし、土方巽の舞踏や寺山修司、唐十郎の芝居を見て感動したりしていましたので、必ずしも美術館業界に足を踏み入れると確信していたわけではありませんでした。偶然と必然が重なって、気がついてみれば、美術館に何十年も関わってきてしまいました。

横尾 先日、同窓会の講演会で高橋先輩が小学校6年生のころにお父様と一緒にフランスに行かれていたというお話を聴きました。そのころは、日本人学校がなくルーヴル美術館にまるで遊び場のように通っていて、ルーブル美術館のどこに何があるのかは日本人で一番よく知っていたというお話を伺い、そういう人が世の中にいるんだなあと思いました。
 私は家に、画集などもなく、絵といえば、教科書に出てくるような絵しか周りになくて、本物をみると、こんなに大きいんだとか、意外に小さかったとかいった感じで、驚きの連続でした。そうやってずっと絵を見てきました。
 子供のころから、本物の絵をご覧になるというのはどういう感じだったのでしょう。

高橋 ルーヴルに毎週毎週行って、暗記するくらいコレクションを見ていました。そういうのが今の職業に就くきっかけと公式には言っていますけれど、下地があるんですよね。
 僕は漫画少年でした。あのころは漫画雑誌もろくになかったころですが、散髪に行くと、待合室で『冒険王』を読んだりしていました。もっと、前ですと、
貸本屋の棚の左から右まで全部読んだという記憶があります。
 あのころって、漫画でいろいろなジャンルがあって、世界名作文学を漫画で読めるような全集もあったし、科学的なことを全部漫画で読ませるものもありました。大学くらいまでの知識は、小学校の前半ぐらいに漫画でインプットしてしまいました。
 ですから、イメージから入るというインプットの仕方は慣れていましたね。

 父親が早稲田の教師をしていて、パリ大学との交流で、たまたまパリに1年いたものだから、イメージや造形から入ることが加速した感じでした。
 そのころはまだパリに日本人学校がなく、1年間どこにも行かず遊んでいました。当初はフランス語ができないから、視覚情報だけがどんどんはいってくる感じでした。
 美術品だけでなく建築を見るのもすごく好きで、そういうことを毎日していたので、それが蓄積されたのでしょうね。

横尾 すごいことですよね。多感な時期に–。

高橋 得難い特殊経験だったと思います。船で80日間往復して、アジアの国は全部見ました。60年代半ばだと、まだ戦後のにおいが残っていて、マニラなどは「日本人は憎まれているから危険」と言われ、船から降りられなかった。
 アジアの国々はまだ貧しく、悲惨なさまを山のように見てしまったので、楽しく、美しいものを見るのが救いでした。紅海に入ってシナイ山を見たり、エジプトのピラミッドを見たりして、そこでは、人種とかは関係なしに盛り上がっていました。
 そういう一瞬があちこちであって、そういう(人種とかに関係なく皆が楽しめるものを見せる)仕事をしたいなと思ったのが美術館の世界に入るきっかけでした。

横尾 小さいころの思いというのは、何かをやるきっかけになりますね。

高橋 ヨーロッパに着くと、山のように美術館、美術品があって、そういうものをリスペクトして見ているという落ち着いた文化がある。
 何か、「永遠に残るかもしれない」という幻想をかき立てるものをやりたいと思いました。
 エジプトはナセル大統領のころで、アスワンハイダムの建設に伴って、ラムセス2世の巨像を移転するなどのすごいプロジェクトをやっていまして、こういう仕事をやりたいなとも思いました。もしかしたらユネスコの仕事をしていたかもしれなかったですね。

横尾 そういうお話を伺って、私の子供時代を振り返ると、いま絵を描いているというのが信じられないくらい普通の子供でしたね。
 ただ、子供のころ、きれいな形をみると真似したくなるというのはありました。風神雷神図の流れが格好いいと思うと、同じような流れを表現した違う絵を描くとか、図鑑に花の絵があって、そのS字のカーブがとても美しいと、それをすぐに真似して書いていたりしました。
 中学に入って、「本物を見に行きなさい」という夏休みの宿題が出て、西洋美術館に行きました。
 クールベの「波」の本物をみたら、すごい迫力で、「こんなにかっこいい絵が描ける人がいるんだ」と思いました。その臨場感、リアル感、力強さは、まだ知らない世界でした。モネの巨大な睡蓮の絵も「どうやって描いたのだろう」と思いました。(高橋さんが学芸員をされた)西洋美術館には、本当にお世話になりました。
 今の自分を育ててくれたのは、そうした美術館の絵だったのかなと思います。

高橋 なんで日本画を選んだのですか?

横尾 私、絵だったらなんでもよかったんです。工作も大好きなので、作るのでもよかったんです。落ち着きのない子で、こちょこちょ絵を描いていました。
 受験のときは美術の方向に行きたいと思っていたんですが、油絵を高校で初めて体験して苦手だったんです。絵の具がべたべたして、石鹸で手を洗っても落ちないのと、思うように描けない「不自由さ加減」があったので、まず、選択の中から油絵が落ちました。
 受験科目を見たら、水彩絵の具でいいというので日本画を選んだのですが、それまで日本画を描いたことは全くなく、「日本画って何だろう」と受験するときに、改めて調べてみて、「教科書にのっていたあれが日本画なんだ」とわかったという感じなんです。大学に入ってから好きなことをやろうという軽いノリでした(笑)。

高橋 あのころって、たぶん、みな洋画が好きだったんですよ。
 おととい、昔からよく知っている(直木賞作家の)篠田節子さんと対談をしたのですが、篠田さんは中学・高校生のころは美術部だったらしいんですよ。あのころだとギュスターヴ・モローがインパクトがあって、油絵はどんどん描きこめるし、面白かったと–。
 日本画は難しくないですか。にかわを溶いて–。

横尾 学校に入って、難しいのだなと思いました。

高橋 で、模写ばかりやらされるでしょう。

横尾 模写ばかりでもないのですが、1年のとき1枚、2年のとき1枚と描いて、模写が苦手なのに懲りもせず大学院は通称、“模写科”(古典研究科)に入りました。

高橋 それが芸大の日本画の特色かなと思います。

横尾 日本画の絵の具を扱う技術を学ぶのには、模写がいいんです。
 日本画の材料は紙ですから、紙に描いて裏にもう一枚紙を貼って、強度を高める裏打ちの技術などもあります。表具をやったり、金箔、銀箔を貼ったり、基本的な要素を学べるんですね。

高橋 それができるから、面白い絵が描けるかというとそれは別問題なんですけれど、何かステップアップしようとするときには後々役に立つ重要な技術なんですね。

横尾 役に立ったんだとは思いますが、自覚はないですね。

高橋 でも、横尾さんの作品を見ていると、すごく基礎がきちっとしているなと思います。テクニックがあります。

横尾 それは模写のせいではないです(笑)。

高橋 日本画の感覚について考えてみたいのですが、日本人って、あらゆる意味でパースペクティヴがすごく乏しい国民性だと思うんです。脳の知覚の方法になにか理由があって、空間を奥行きを持って認識しないのではないかと、自分を含めて思うんです。

横尾 私も対談に先立ってのバイオリンの演奏を聴いて、人を包み込む奥行き感は西洋画のものだなという気がしました。
 触れてきたものが違うのでしょうか。
 包み込むような立体的な存在感、力強さを油絵に感じます。
 子供のころ、西洋画のそういうところに魅力を感じたのだと思います。

高橋 西洋音楽ってバイオリンやピアノなどの個人楽器があって、オーケストレーションの世界があって、さらにパイプオルガンがフーガなどを奏でる重厚な世界がある。
 美術でもそうで、プライベートな世界からパブリックな世界まで、いろいろある。
 西洋のアートはギリシャ、ローマ以降、社会的なコミュニケーションを担ってきたんですよね。
 権威者、為政者、お金持ち、市民共同体…そういうものの権威とかメッセージを具現するためのツールなんです。すべてのものが視覚化され、造形化された。街の真ん中にミケランジェロの裸の像が置かれたりする。日本人から見たら少し変だと思うんですよ。けれども、そういうことが自然に歴史的に行われてきた。そういうあり方が日本における美術とは違うという気がします。

横尾 日本の絵は感情とか心の内面性の表現が多いと思うのですが、西洋のアートは力強い具現化したものという存在感を感じます。

高橋 社会的なコミュニケーションツールという性格が19世紀ごろに限界までいってしまって、それの反動というか、プライベートなところまで戻すために印象派の人たちなどが、自分たち個人の関係性のなかで見る作品に引き戻している。その過程では、日本の美術にすごく影響を受けたりしているんですね。
 そういう意味では印象派が日本と親和性があり、日本人も大好きなのはよくわかります。どこか共通したものがある。
 印象派の画家の作品を見ていると、意識・無意識にかかわらず、「日本人になろう」としてフラットに描いていますよね。

横尾 日本も下村観山とか菱田春草の時代になると、奥行きを意識して描いているのだけれども、やはりとても日本画的で、「平ら」ですよね。
 パースペクティヴの表現を目指しているのだけれど違うものになっているのは面白いです。

高橋 最近、ちまたでは、日本美術の展覧会が盛況なんですが、これは、自分たちの本来もっている感覚に近いものに回帰しようという自然な社会傾向なのかなと思うんです。

横尾 確かに若冲などは若い人にも支持されていますね。とくに若冲などの傾向の画家は、いまの人の感覚に合うのでしょうね。
 私は若冲を大学で初めて見て、気持ち悪い絵と思ったんです。
 でも何年か前に相国寺で33幅の『若冲動植綵絵』(どうしょくさいえ)を円形に飾った展覧会があって、その絵を見たのですが、涙が出るほど感動してしまいました。「この世界が描きたかったのか」ということがわかりました。大人になって、「素晴らしい絵を描く人だ」「人気が出るわけだな」と感じるようになりました。
 この絵は親と自分の永代供養のために描いたようですが、こんなに人を感動させる作品を「一生に一度でいいから描いてみたい」と思います。

高橋 年齢を重ねて(失礼!)、その境地がわかってきたということなのでしょうか?

横尾 1枚の絵じゃ理解できなかったですね。
気持ち悪いほど、全部の画面を使って同じように描いていて、空間もへったくれもない。妖怪を描いているような感覚の絵というイメージだったんです。
でも、33幅が揃った絵を見て、そんなことからは突き抜けているなと思いました。

高橋 若冲のブームって突然来たようにも見えるけれども何年か前に、ワシントンのナショナルギャラリーでも若冲展を開催したんですよ。そうしたら、驚くほどの人が来た。日本の画家でこんなに人が入るとは想像もしていなくて、ナショナルギャラリーの関係者も驚いていました。
アメリカ人でもそんなに面白いと思ったのだから、時代性があるのでしょうね。

横尾 大学生というともう30年くらい前なのですが、そのころに、辻惟雄(のぶお)先生が、若冲とか曾我蕭白を紹介されていました。その時はなんとも思わなかったのですが、いまはすごい勢いですね。

高橋 横尾さんは日本画家はどなたが好きなんですか。

横尾 円山応挙、菱田春草、下村観山、橋本雅邦らが好きですね。古い人が多いですかね。

高橋 ちょうどいま、春草展が人気ですよね。
 でも、画家はあまりマーケティングとかばかり考えてもしかたないですからね(笑)。

横尾 私たちは絵を描いて、「たった一人がわかってくれればいい」のですが、美術館はそうはいかないですね。

高橋 僕の仕事は「10人がわかってくれればそれでいい」というわけにはいかないので、マーケティングは必要です。収支だけの話ではなくて、どれだけの人、マジョリティが何を欲しているか、マイノリティーの人が何を欲しているのかというのは、ある程度考えていかないと。自分はこれがいいと思ってやっていても1日10人しか見に来ないというのではだめですから。

横尾 ひとことでいうと、高橋先輩はどんな絵が好きですか。
 私は、見て、「しみるなあ〜」と思う絵です。
 感情論ですが。

高橋 僕の場合は、展覧会で絵を見て、「この絵が寝室にあったらいいな」と思うか思わないかですよね、最終的には。
 1対1で好きになれるかというところで、「好きな絵」を選択しています。
 マーケティングベースとは関係ない世界ですが、それがないと、どんなに大向こうをうならせる展覧会でも嫌なんですよね。

横尾 やはりそうですよね。絵を集める人、企画する人が、心から素敵と思っていないと伝わらないですよね。

高橋 それは、展覧会みたいなイベントをやっている者が持つべきささやかな良心なんだと思います。

横尾 私の子供のころは、西洋絵画の何を見ても珍しかったし、素敵に見えたんですが、いまの時代の若い人とか、絵をあまりご覧にならない人向けに企画するのは難しくないですか。

高橋 昔に比べれば、なんでも情報として引っ張れる時代なんですけれども、だからといって子供たちとか若い人たちが本当の意味での情報を得ているのかというと、どうもそうではないと日々実感するところです。
 何でもかんでもスマホから引っ張れるのだけれども実は何も見ていないのと同じかもしれない。
 バーチャルな情報ばかりが先に入ってきている。

横尾 私たちがいいなと思っていた感じ、もっと、ふくよかな感じがあるといいのでしょうね。

高橋 みなディスプレーの中で、平準化されたイメージで見ている。
材質感もないのに、ひたすらディスプレーで絵を見て、見た気になっている。
 自分自身も混雑する展覧会ほとんどいかず、パソコンで見て、いいかなという気になっています。あまりよくないですね。
 この間ヴァロットン展ではスマホのアプリを作ったのですが人気がありました。家にいながらにして展示されているもの見られる。私の付けた解説も音声で流れるというスグレモノです。

横尾 高橋先輩の解説は面白いですね。例えば、『芸術新潮』で特集された2010年の「オルセーの美術館展」のコメント一つひとつが面白かったです。
 その一つが、アングルの『泉』。この時代は、リアルな女の人を描かなかった時代で、神格化されたヌードを描くのが常識的だったのですが、アングルの『泉』の女性は顔が可愛らしくて、教室にいてもおかしくないような顔なんです。
 その顔が可愛くて、『泉』って好きだったんですが、髙橋さんのコメントを読むと、今の時代でいうと、アキバ系の女の子のような感覚で見たのではないか、と書いてありました。いまに当てはめると、そういう解釈なのか、と思いました。
 1つひとつの絵の解説が、いまでいうとこんな感じというのがわかりやすく、印象的でした。

高橋 「グラビアヌード系」ですよね。本当の意味でのリアルな女性のヌードではない。
 だから、表現として、お目こぼしになっていたわけですよね。検閲にもかからず。リアルじゃないから。
 リアルかどうかというのは非常に大きな問題ですが–。

横尾 リアルという感覚もその時代、時代で違いますよね。

高橋 ある種の時代の「リアリティー」というものがあって、それをつかんだ作家が残っていくんだと思います。

横尾 日本の浮世絵などもリアリティーの問題に関わってくるのでしょうかね。

高橋 浮世絵の作家のなかでもリアルな感覚を100%つかんでいる人といない人いる。そこが作家を分けるのだと思います。
 北斎なんかはすごいですね。

横尾 理屈抜きで、絵の表情の強さ、絵の動きの強さを感じます。

高橋 北斎は肉筆画が結構残っており、本当にすごい。臨場感があるというか–―。

横尾 奥行きのない線だけの臨場感は、なんとも言えない迫力ですよね。

高橋 西洋の作家でも、だれでもがパースペクティヴ、空間感覚があるか、というと、作家によって違うなというのが最近、わかってきました。
 ボナールとかドニとかヴュイヤール、ヴァロットンみたいな19世紀末のナビ派の作家だと、この人たちは、まるで日本人みたいだと思うことも多くて、デッサンなどを見るとかなり平面的です。
 洋の東西を問わず視覚的な認識度はみんな違うんだなというのが最近、見えてきました。

横尾 昔、気がつかなかったけれど、いま気がつくことって、たくさんありますね。
 先日、東京国立博物館で、上村松園の「焔(ほのお)」を見ました。源氏物語に登場する六条御息所が生霊になって葵の上を呪い殺してしまうというほど強い嫉妬心を持つ姿を描いたものです。昔は、綺麗な絵の中に一枚だけ嫉妬に燃えた女性を描いた絵があるな、上村松園も変わった絵を描くんだな、といった理解だったのですが、先日見たら、すごく感動したんです。
 若いころは何とも思わなかったのですが、この絵を見て、源氏に対する恨みつらみというより、ものすごくか弱い、人間のどうにもならない、行き所のない悲しみを感じました。
 絵にはかなさを感じたんです。松園って偉大な作家だったのだなというのを改めて感じました。
 若冲を久しぶりに見たときのように、「ああ、こんないい絵が描けたらいいな」と思いました。「女の人がみた女」もいいかなあと感じました。

高橋 たぶん、男の作家だと、最終的に女を描くのは難しいと思うんですよね。でも、男でもたまにできる人がいて、『8人の女たち』『スイミング・プール』などをつくった、フランソワ・オゾンなんていうフランス人の映画監督は女性の心理が驚くほどよくわかっていました。『ふたりの五つの分かれ道』なんて、すごいですよ。とても若いのに不思議な才能、共感力です。

 他方で、僕なんかは、最近、年を取ってきたのか、後半生の仕事というか、晩年がどうなるのかなというのがとても気になります。
 いま、三菱一号館美術館で『ミレー展』をやっていますが、ミレーが一番いいなと思うのは、ずっと制作を続けてきて、晩年になるにしたがって、絵が軽く、明るくなってきているんですね。自由になって、開放感がある。死ぬ前の年に描いたものなどはすごく開放感がある。そういうのには、あこがれますね。
 肉体的には衰えていくんだけれども、精神が自由になっていくのはすごくいいなと思います。

横尾 そう伺うと、最近、見ていなかった西洋絵画をもう一度、見てみようかと思いますね。

高橋 ミレーというと、一見、古い教養主義の感じがするのだけれど、今回みたいな機会に改めてよく見てみると、とてもいい作家だなと思います。

横尾 改めて見るって大事ですね。

高橋 それは僕だけの感想ではなくて、この展覧会を見たいろんな人にそう言われます。見る時期も大事ですね。同じものを見ても感じ方が違う。

横尾 西洋絵画は格好いいと思っていますけれど、最近、見なくなっていました。
 ぐっと入ってくるのは日本画に多かったかもしれません。

高橋 ヨーロッパで色々な展覧会を見ると、自分たちの知っているものはまだまだ一部という感じがいつもあります。毎回、結構斬新なものを見せられるので。
 自分が持つ限られた情報で、わかった気になるのは危険です。

横尾 日本は制作される絵画の数が少ないのでしょうか?

高橋 絵画の表現の幅が比較的狭い、のかもしれませんね。深い感じはありますが――。

横尾 日本画の歴史は、桃山時代の障壁画くらいからですから。

高橋 ラスコーとかアルタミラの壁画を見ると、圧倒されますね。
作家ならば、一度はああいうものを見た方が良いと、老婆心ながら、言いたいですね。
 人間の歴史で、テクノロジーはものすごく進歩しているけれど、感情とか感受性の部分は、ほとんど変わってないじゃないですか。むしろ、後退している気もする。
 多分、アートの世界は石器時代から変わっていないんですよ。
 表現の形態や技術的なものが変化したけで、すでに大昔に表現としてなされてしまった部分はすごくある。

横尾 やはり人間が思いを込めてつくったものに感動するんですよね。

高橋 テクノロジーで進歩していると思っている自分たちがいるのだけれど、原点に引き戻されるじゃないですか。
 何か忘れたことを思い出させる。わからないこと予見させる。そうしたものがアートの力なんでしょうね。
 そう考えると絵を描く人ってクレージーじゃないとできないと思います。
 横尾さんは、おみかけしたところ、大丈夫ですよ(笑)。
 日常生活は普通でいいんだけれど、どこかでクレージーな部分がないと、初源的なものは呼び戻せない。

横尾 絵を描いていると、3日くらい寝ないということがいまだにありますね。4日目には寝る努力をするんですが、描いていると寝られなくなるんです。
 それはクレージーといえばクレージーですね。だんだん年とともにひどくなっているような気がします。
 これからですよ、見ててください(笑)。
 先輩も、長生きしてくれないとだめですよ(笑)。


 葉月ホールハウスでは、7月に池田真弓さん(高校32回卒)の個展を開催。11月24日から12月7日までは、水墨画の海野次郎(高校23回卒)さんの個展も開く。

 富士高卒業生たちの活躍と出会いの場を提供してくれる葉月ホールハウスを運営するのも高校27回卒の岩河悦子さんだ。今回の対談をきっかけに、富士高卒業生たちのクリエイティブな交流の輪が葉月ホールハウスを拠点にさらに広がっていくのではないか、という気がした。
(高校27回卒・相川浩之)