創立121周年にあたって
大阪府立清水谷高等学校
校長 日笠 賢
2022(令和4)年の今年は、1901(明治34)年に大阪府立清水谷高等女学校が開校されて121年目になります。2度めの還暦である大還暦(120歳)を終えて、3度目の新たな誕生を迎える年になっています。
この節目ともいえる年に、奇遇にも初代校長の大村忠二郎先生と同郷の私が、第26代目の校長として本校に着任できたことを心から嬉しく思います。
大村忠二郎先生は、本校教育の精神として「愛と恕」を掲げられました。解釈は色々あるかもしれませんが、津山藩儒士で学問教授頭取の父を持ち、後年キリスト教に帰依された大村先生が、西洋のキリスト教の無償の「愛」、即ち他をいつも配慮する愛の寛い心と、東洋の儒教の「恕」、即ち一切を許し包容して進歩向上する心を共に合わせた精神を想定されたのではないかと私は考えています。
清水谷高等女学校の設立は日清戦争と日露戦争の間で、ペストが日本でも世界でも大流行していました。大村忠二郎先生の校長在任中(1901~1921年)には、第一次世界大戦とスペイン風邪(新型インフルエンザ)のパンデミックという世界的大混乱もありました。現在、私たちが直面する、ロシアによるウクライナ侵攻と、新型コロナウイルス感染症の世界的大流行という100年を経てまた繰り返される人類の歴史を思うと、人の命の大切さと人間らしい生き方の指針として、「愛と恕」の精神が意味することの重さには、改めて感銘を受けます。
先日、長年の私の「かかりつけ医」の先生に、4月から清水谷高校で勤務していることを診察中に話すと、学校名を2度聞き直されて大変驚かれました。そのドクターご自身が、実は清水谷高校の出身とのことで、今度は私の方が大変驚きました。清水谷高校の同級生には、近隣にもう一人開業医をされている方がおられるそうで、世間は広いようで狭いと感じました。120年の長きにわたり築かれてきた清水谷高校の歴史の中には多くの卒業生がおられ、間違いなく沢山の方が社会で活躍されています。そのことを改めて感じる出来事でした。
日本の教育を取り巻く環境は今、戦後最大の改革と言われる時を迎え、今年度入学生からは新たな学習指導要領の適用対象になり、社会に開かれた教育課程、即ち社会との協働と連携によって、より良い社会を作るための教育課程とすることが目標になっています。
3度目の誕生を迎えた創立121周年は、清水谷高校が、社会との太いパイプである清友会と二人三脚のようになり、息を合わせ気を合わせて新たな歴史を刻むスタートの年になるものと思っています。