モニュメント

現在の静岡県立大学敷地内に、母校を偲ぶ3つのモニュメントが設置されています。大学にお立ち寄りの際は、是非ご覧ください。

静岡女子大学の碑

県立大学入口の「はばたき棟」(事務棟)横の植え込みに静岡女子大学の石碑が建てられています。

 

「新生(しんせい)への礎(いしじ)」(赤地経夫氏・作)

静岡県立大学はばたき棟の近く、各学部棟を見渡せる位置に設置されています。母校の記憶を目に見える形で残したいという、関西在住の卒業生の声を発端に、モニュメント建設に向けての活動を開始しました。当時は、静岡女子大学の校舎で唯一残っていた附属図書館が、県立大学の看護学部棟建設に伴い取り壊され、県立大学も創立10周年をむかえた時期でもありました。1997(平成9)年に完成し、除幕式を行いました。

 

「滴々の歌碑」

滴々の歌碑の現在の写真
静岡県立大学はばたき棟前に移設された現在の「滴々の歌碑」。

「この拓きし丘にはげしきもの興るといふにはあらね花滴々と」

昭和42年静岡女子大学開学にあたり、高原博氏が記念歌として掲出されたものが二首ありました。昭和49年4月に中川芳雄名誉教授が発起人となり、その二首の内の「この拓きし・・・」の歌碑を建立し、大学管理棟横の庭園内の池の畔に据えられました。表の面は歌、背面は中川氏による建碑の由来、及び同大教授3名の献詠歌が彫られています。

この歌は「花滴々 静岡女子大学開学に寄す」と題され、高原氏が昭和52年に出版した『歌集染浄』(ぜんじょう)に他の一首と共に掲載されています。歌の解釈はさまざまにできますが、「花」は紅萩[1]で、富士を見晴るかす草薙の丘の上に開学した大学、希望をもって学び始める女子学生たちへのエールと学問成果充実への強い願望が込められているのではないでしょうか。ちなみに、他の一首は「地に茂り生ひ立つはきよき象(かたち)してここに先づ咲く萩の初花」で、二首を併せ読むと掲出歌の解釈の幅も拡がるかもしれません。

現在、「滴々の歌碑」は、統廃合された3県立大学の石碑とともに静岡県立大学のはばたき棟入り口に移設され、キャンパスに満ちる学徒たちの輝きを見つめ続けています。

※高原博氏(明治40年~昭和62年)は広島県生まれ、79歳で逝去されました。
昭和26年~48年まで哲学倫理学教授として、静岡女子短大・静岡女子大学に奉職された名誉教授である一方、歌人並木秋人に師事し「短歌個性」を主宰されました。昭和55年には勲三等瑞宝章を受章。高原氏には『歌集染浄』『歌集染浄以後』『歌論抄』などのご著書があり、御歌や歌に関するお考えなどに触れることができます。

 

※石碑の背面の文面は以下のとおり。

滴々の歌碑銘

ゆかりある人々の 心ここに 寄りよりて
この丘の この歌碑とはなりぬ
本学名誉教授高原博先生 短歌個性を主催し この丘に花滴
滴の詠吟あり 登りくる茶畑の道 小綬鶏の声夢さそふ みか
へれば梶原山 もののふのの昔もあはれ 見晴るかす谷田の丘辺
ゆ 富士の嶺(ね)は 今日も美し ああこの拓きし丘に この歌碑
は建つ きたりてここに いやさりがたき 感懐(おもひ)は誰(た)そ。
そもゆかりのある人々 この碑の成れるは まさに 本学同窓
会=おほとり会有志七百余名 本学教職員有志六十余名 短歌
個性同人有志 広島大学尚志会静岡県支部有志 静岡県教育研
究所有志 静岡県学習研究会有志 本学後援会 ならびに島田
市石音石材店等 もろひとの力による 記して永きかたみとも。
除幕にあたり 献詠の和歌三十余首 うち三種を銘後に刻し
て碑背となす。

春日うらうらのひばり 秋日滴々の歌碑
未来幾多の人     むかし今人間と自然と
昭和四十九年四月二十一日
発起人 中川芳雄 誌す

献詠歌

上條 彰次
ここにしてものの喨喨うつそみをよみがへり咲く花滴々と

高嶋 健一
ありなれてはや怠りのわが日々に灯ともすごとき滴々の歌

秦 鴻四
花ひらく学びの丘の碑(いしぶみ)に心通ひて 過ごす日のあれ

静岡女子大学の庭園に設置されていた当時の「滴々の歌碑」。
碑の背面から藤棚を通して本部棟が見えます。

[1] 静岡女子大学管理棟前には、管理棟と1号館だけで開学した当初から大きな萩が植えられており、静岡県立大学の新校舎建設の工事が始まるまで、毎年見事な赤い花を咲かせていた。