静岡女子短期大学と静岡女子大学の歩み
年 | 月 | 学長 | |
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1949年 (昭和24年) |
11月 | 県は有識者で構成される女子の大学設立準備協議会を設置 | |
1950年 (昭和25年) |
7月 | 準備協議会が最終審議結果を知事に報告(原案から国文専攻が削除され、建築費の問題から県立城北高校と施設を共有) | |
1951年 (昭和26年) |
3月 | 文部大臣から静岡女子短期大学が設立認可される | |
5月 | 城北高校講堂にて開学式及び第1回入学式(文科英文学専攻、家政科家政専攻、家政科被服専攻) | ||
7月 | 初代学長に鈴木弘が任命される | ||
8月 | 静岡女子短期大学本館竣工 | ||
1952年 (昭和27年) |
3月 | 本館落成式(講堂、運動場など昭和37年10月まで城北高校と共用) | |
4月 | 学科改組(文科英文学専攻を英文科に、家政科家政専攻と被服専攻を家政科に) | ||
1953年 (昭和28年) |
12月 | 別館竣工(物理・化学・被服実験室) | |
1955年 (昭和30年) |
6月 | 鈴木弘学長再選、第2代学長に任命される | |
1956年 (昭和31年) |
4月 | 文科国文科を無認可のまま発足するが、文部省大学局の指示で申請を取り下げる。翌年に1・2年の認可を同時にする予定だったが、2年次での認可は不可となり、第1回の国文科生は3年かけて卒業) | |
4月 | 鈴木弘学長の急逝に伴い、副知事吉岡恵一が学長兼事務取扱に任命される | ||
6月 | 吉岡恵一転出のため、県知事公室長松永貞水が学長兼事務取扱に任命される | ||
11月 | 大杉繁が名誉学長に、山下恒次教授が学長事務代理に任命される(大杉繁はすでに県の教育委員に就任しており、専任学長に任命することができなかったため) | ||
1957年 (昭和32年) |
3月 | 文科(英文専攻・国文専攻)の設置が認可される | |
4月 | 栄養士養成施設指定として指定を受ける | ||
4月 | 教職課程設置が認可される | ||
1958年 (昭和33年) |
4月 | 第3代学長として大杉繁が専任学長に任命され、学長事務代理は廃止される | |
1959年 (昭和34年) |
4月 | 城北高校校舎新築により本館内城北高校使用分の一部が短大分となる | |
5月 | 中学保健科の教職課程設置が認可される | ||
1960年 (昭和35年) |
3月 | 静岡県条例により「静岡女子短期大学」と昭和26年3月の文部省設置許可の名称に統一される(同年3月の静岡県の設置条例では「静岡県立静岡女子短期大学」の名称を用いており、齟齬を生じていた) | |
1962年 (昭和37年) |
3月 | 大杉繁学長退官に伴い、副知事山口和夫が学長事務取扱に任命される | |
5月 | 第4代学長として松浦新之助が任命される | ||
11月 | 城北高校校舎新築により本館が全館短大専用となる | ||
12月 | 家政科が家政科食物専攻・家政科被服専攻として認可される | ||
1963年 (昭和38年) |
4月 | 学校図書館司書教諭課程設置が認可される | |
9月 | 県議会で県知事が昭和41年度を目途に静岡女子短大を4年制に拡充、移転整備する計画であることを初めて発言 | ||
1964年 (昭和39年) |
9月 | 県議会は静岡市谷田(現駿河区谷田)に女子短大新校舎建設の予算を可決 | |
1966年 (昭和41年) |
4月 | 浜松布橋の静岡大学教養部跡に女子短大浜松教場を開設し開学式を行う(北安東の校舎は、これ以降静岡教場と称す) | |
6月 | 静岡市谷田に新校舎管理棟竣工 | ||
7月 | 谷田新校舎1号館(一般教育棟)が竣工 | ||
7月 | 短大本部、文科、図書館が谷田の新校舎に移転 | ||
1967年 (昭和42年) |
1月 | 静岡女子大学設置が認可される | |
3月 | 家政学部食物学科が栄養士養成施設として指定を受ける | ||
4月 | 静岡女子大学開学 | ||
4月 | 松浦新之助静岡女子短期大学学長が初代静岡女子大学学長を兼任 | ||
9月 | 2号館(大教室)が竣工 | ||
11月 | 静岡女子大学開学式および静岡女子短期大学開学15周年記念式開催 | ||
1968年 (昭和43年) |
2月 | 静岡女子大学の教職課程(中学校・高等学校の国語・英語・家庭・保健)が認可される | |
3月 | 静岡女子短期大学第16回卒業式をもって静岡女子短期大学の静岡での歴史は終わる | ||
3月 | 静岡女子短期大学は家政学部を廃止する旨の申請書を文部省に提出 | ||
3月 | 静岡女子短期大学は栄養士養成施設廃止届を厚生省に提出 | ||
10月 | 3号館(文学部棟)が竣工 | ||
12月 | 司書・司書教諭課程認可 | ||
1969年 (昭和44年) |
4月 | 静岡女子短期大学は位置を浜松に変更する旨の申請書を文部省に提出 | |
5月 | 第2代学長として斎藤久雄が任命される | ||
8月 | 谷田に家政学部等が竣工して北安東から同学部が移転 | ||
9月 | 北安東校舎が静岡県教育委員会に移管 | ||
11月 | 静岡県知事公舎の一部を移設してホームマネージメントハウスが竣工(家庭管理学実習に使用する場合を除き、職員及び学生の親睦、集会及びクラブ活動、合宿等のために使用された) | ||
1970年 (昭和45年) |
12月 | 講堂兼体育館着工 | |
1971年 (昭和46年) |
8月 | 講堂兼体育館が竣工 | |
10月 | クラブ室が竣工 | ||
1972年 (昭和47年) |
3月 | 「第8次静岡県総合開発計画」に、昭和49年度開講を目途にした家政学部児童科の設置が盛り込まれたが、残念ながら実現に至らなかった | |
1973年 (昭和48年) |
2月 | 聴講生の教職課程(中学校・高等学校の国語・英語・家庭・保健)認可 | |
5月 | 斎藤久雄学長再選、第3代学長に任命される | ||
1975年 (昭和50年) |
5月 | 斎藤久雄学長再選、第4代学長に任命される | |
1977年 (昭和52年) |
5月 | 第5代学長に森主一が任命される | |
1978年 (昭和53年) |
8月 | 附属図書館着工 | |
11月 | 「婦人教育研究センター」設置を目標に婦人教育研究推進事業を9年間にわたって実施 | ||
1979年 (昭和54年) |
3月 | 附属図書館が竣工。4月に開館式、5月に落成式を挙行 | |
1981年 (昭和56年) |
5月 | 小田幸雄文学部長が学長事務取扱に補せられた | |
6月 | 第6代学長に小田幸雄が任命される | ||
1982年 (昭和57年) |
9月 | 静岡県知事諮問機関として「静岡県立大学問題協議会」が設置される | |
1983年 (昭和58年) |
9月 | 同協議会より「静岡県立大学の在り方」についての答申が知事に提出される | |
11月 | 「静岡県立大学建設準備委員会」が設置される | ||
12月 | 建設準備委員会で、61年4月の開学を努力目標に、県立三大学を統廃合する方針を決定 | ||
1984年 (昭和59年) |
5月 | 建設準備委員会が新大学の学部・学科を決定 | |
10月 | 建設準備委員会が「静岡県立大学基本構想」を決定 | ||
11月 | 「静岡県立大学建設準備会」が設置される | ||
1985年 (昭和60年) |
6月 | 第7代学長として内薗耕二が任命される | |
7月 | 静岡女子大学の昭和62年度学生募集の停止を決定 | ||
1986年 (昭和61年) |
谷田キャンパスで静岡県立大学の新校舎建設工事がスタート | ||
4月 | 静岡女子大学最後の入学式 | ||
6月 | 静岡県立大学設置認可申請書を文部省に提出 | ||
12月 | 静岡県立大学、同短期大学部の設置が認可される | ||
1987年 (昭和62年) |
3月 | 静岡女子大学は静岡県立大学校舎へ移転する | |
4月 | 静岡県立大学開学 | ||
教員校舎を除いた静岡女子大学施設を静岡県立大学に管理換する。蔵書も静岡県立大学へ移管 | |||
1989年 (平成元年) |
4月 | 内薗耕二学長再選、第8代学長に任命される | |
1990年 (平成2年) |
3月 | 静岡女子大学最後(第20回)の卒業式並びに閉学式 |
参考文献
『静岡女子短期大学十六年誌』、静岡女子短期大学十六年誌編集委員会、1970年
『静岡女子短期大學三十年誌』、静岡女子短期大学、1982年
『静岡女子大学二十三年誌』、静岡女子大学二十三年誌編集委員会、1990年