第五高女創立記念碑

府立第五高女創立の場所に記念碑を建立します。(2019年の秋)

歌舞伎町弁財天5月祭礼

府立第五高女は、大正9年(1920年)、現在の新宿区歌舞伎町の地に創立されました。同地は大村伯爵家の鴨場であったものが、峯島家の所有となり、池を埋め立てるなどして宅地となり、その後、尾張屋五代目の峯島喜代さんが、東京府に当時のお金で50万円を寄付するとともに同土地を永代無償で貸与し、第五高女を開校したものです。第五校舎は1945年(昭和20年) 4月14日未明の戦災により消失しました。その後1948年(昭和23年) 5月、校舎が中野区富士見町(現弥生町)へ移転されました。

歌舞伎町周辺も大繁華街に大きく変貌したため、第五高女が同地にあったことを示す痕跡は今や皆無となっています。

若竹会では母校が創立100周年を迎えるに当たり、第五高女がこの地に存在していたことの「証」を末永く遺し、第五と富士の歴史を「繋ぐ」ため、新宿区立歌舞伎町公園内に「発祥の地」記念碑を建立することとしました。

記念碑お披露目式

創立100周年記念事業として「東京府立第五高等女學校発祥の地」記念碑が新宿区立歌伎町公園内に建立され、2019年(令和元年) 11月27日午前10時半より同公園にて小雨降る中、招待者、第五・富士卒業生35名が出席し、お披露目式が滞りなく開催されました。

第五創立に尽力された峯島喜代さん子孫尾張屋土地株式会社取締役社長 峯島茂之氏、歌舞伎町商店街振興組合理事長 片桐基次氏、都立富士高等学校・附属中学校統括校長 野村公郎氏からご祝辞を、新宿区長 吉住健一氏からお祝いメッセージをいただきました。

記念碑除幕は、峯島社長、本科26回卒猪狩恭子さん、若竹会横山会長により行われ、出席者全員で第五高女校歌を斉唱しました。

第五卒業生からは「上品で、可愛らしく、優雅な石碑でした。後輩がやってくださった。富士高が第五の文化を引き継いでいた。」などの感謝の言葉がありました。

なお、若竹会役員をはじめ、有志による峯島家情報提供、お披露目式招待状・臙脂色除幕布/紐/百合飾り・建立チラシの作成、「祝」文字入中村屋月餅・芳名帳・胸章の購入、式司会、早朝参集各担当の会場準備・式運営をイベント成功にむけたプロジェクト体制で実施しました。

また、振興組合理事長の記念碑建立へのご理解、同事務局の事前準備・式日会場設営/撤収作業など多大なご協力を得ました。

機会がありましたら是非とも「発祥の地」記念碑をお訪ねください。

お披露目式の写真

記念碑建立の経緯

記念碑設置プロジェクトは、開始からお披露目式開催まで約3年半に亘りました。経緯詳細は次のとおりです。

  • 2016年(平成28年) 7月、記念碑設置プロジェクトが100周年記念事業として若竹会承認後、尾張屋土地(株)・新宿区役所・歌舞伎町商店街振興組合と調整。
  • 2017年(平成29年) 3月、新宿区役所宛記念碑設置趣意書を提出し内諾受け。9月、新宿十二社熊野神社例大祭に伴う歌舞伎町公園内御旅所開設時現地確認、振興組合挨拶。
  • 2018年(平成30年) 9月、歌舞伎町公園内御旅所開設時、振興組合挨拶。
  • 2019年(平成31年) 1月、記念碑をデザインし、業者数社の見積を取寄せ、4月、若竹会役員会・理事会予算承認と業者選定。5月、歌舞伎町弁財天祭礼出席。9月、新宿区長宛記念碑「寄附申出書」提出、歌舞伎町公園内御旅所開設時振興組合挨拶、10月、基礎工事(*1)、11月、設置工事・竣工(*2)、お披露目式を開催。

(*1) 2019年10月基礎工事の写真


(*2) 2019年11月設置工事・竣工の写真

                                                       創立100周年記念碑設置事業委員 増山秀人(高校23回卒)