富士高校創立100周年記念碑披露式

創立100周年を記念して、「都立富士高等学校創立100周年記念碑」が富士高校正門脇に建立され、2020年(令和2年)11月28日午後1時過ぎから、記念碑の前で披露式が開催されました。新型コロナウイルスの感染が再び拡大していたため、参加者は、若竹会関係12人、来賓18人 (今春卒業した高校72回卒の理事7人も参加。高校、中学の生徒代表は当日、参加を取りやめました) に絞りました。2019年11月に「東京府立第五高等女學校発祥の地」記念碑が新宿区立歌伎町公園内に建立されており、第五高女発祥の地と富士高校の2ヵ所に記念碑が揃いました。

横山雅之若竹会会長

披露式では、まず、横山雅之若竹会会長が挨拶しました。「完成しました100周年記念碑には、母校の歴史を簡潔に記すとともに、これまでに使われてきた3つの校章を表示しました。記念碑の色については、第五高女の記念碑と同様、エンジ色の石を用い、第五高女の制服のカラーにより第五高女をイメージする一方、記念碑の形状については、末広がりで安定感のある形により、母校の名称であります富士をイメージしました」と会長自らがデザインした記念碑について説明。「都立富士高校は、これまで数多くの困難や大きな変化を克服しながら発展し現在に至っております。10年前の平成22年(2010年) には附属中学校が併設され中高一貫教育校となり、来春には中学入試に一本化されることが決定しております。今後の100年間も、そして永遠に、母校が大きく発展することを心からお祈り申し上げます」と結びました。
続いて、来賓からの祝辞がありました。

野村公郎統括校長

野村公郎都立富士高等学校・附属中学校統括校長は「このような素晴らしい記念碑をご寄贈いただき、若竹会の皆様に感謝申し上げます。そして富士高校の前身である第五高等女学校の設立に尽力していただいた峯島様、本日はお越しいただきありがとうございました。記念碑は生徒たちの心のよりどころになると思います。来年度からは富士の101年目がスタートします。今後ともご指導とご支援を賜りますようお願いいたします」と述べました。

峯島茂之尾張屋土地(株)社長

第五高女創立に尽力した峯島喜代さんの後を継ぐ峯島茂之氏(尾張屋土地株式会社取締役社長)は、「コロナ禍の中で100周年記念事業を着実に進めていかれる学校及び若竹会のみなさまに敬意を表したいと思います。峯島喜代は明治、大正時代を通して、不動産、金融の仕事をさせていただく中で、生涯最後の望みとして、実務に即した教育をしていただく学校を創立したいという強い意志がありました。学校が幾多の困難を乗り越えて創立100周年を迎えられたことは峯島家としても嬉しく思います。教育現場でご努力を重ねている先生方、輝かしい実績を残されている卒業生の皆様、未来に向かって羽ばたいていかれる生徒の皆様に深く感謝いたします」と話されました。

渡辺大 父母と先生の会会長

父母と先生の会会長の渡辺大氏は「100年の歴史を刻む記念碑の除幕式に立ち会わせていただくことに喜びを感じています。私の娘はこの春、充実した6年間の学校生活を過ごし、新たな人生の一歩を踏み出しています。これからも続々と続く富士高の生徒諸君が富士を母校とする誇りを胸に、世界のあらゆる分野で羽ばたいていかれることを願っています」と述べました。

最後に高校生徒会会長の片岡里実さんの祝辞を上瀧守副会長が代読しました。片岡さんは「東京都立富士高等学校及び附属中学校創立100周年記念碑除幕式が挙行されますことに、生徒を代表し、心からお礼申し上げます。100年という記念すべき節目の年に、代々先輩方から受け継がれてきた伝統と歴史の重みを深く感じ、この場に立ち会えたことに喜びと感謝の気持ちでいっぱいです」と感謝の意を表しました。

最後に校歌を流しましたが、新型コロナ対策で、声を発することは控え、各人が胸の中で校歌を斉唱しました。

横山会長挨拶・全文

東京都立富士高校創立100周年記念碑の披露式にあたり一言ご挨拶申し上げます。

ご来賓の皆様には、大変お忙しい中、またコロナ禍が続いている折にもかかわらず、ご出席を賜り、厚くお礼申し上げます。

東京都立富士高校は、前身の東京府立第五高等女學校が創立した大正9年(1920年) から数え、本年100周年を迎えました。同窓会若竹会として、母校の創立100周年を心よりお祝い申し上げます。おめでとうございます。

若竹会では、創立100周年に向け記念事業を行うため、会員の皆様に募金を呼びかけ、寄せられた募金を生かし各種記念事業を推進しているところです。昨年11月には、新宿区立歌舞伎町公園に府立第五高女創設の地の記念碑を建立いたしました。

本年は、それに引き続き母校の敷地内正門脇に創立100周年の記念碑建設を計画し取組を進めてきましたところ、先頃完成いたしましたことをここにご報告申し上げます。

府立第五高女は、尾張屋(当時) 5代目の峯島喜代様による東京府への多額のご寄付などが契機となり、淀橋町字角筈(現在の新宿区内) に開校し発展を重ねておりましたが、太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)4月の空襲により焼失してしまいました。        

学び舎が失われました後においても、当時の生徒・教職員の皆様は、他の学校を間借りするなど大変なご苦労を重ねながら、勉学を継続されたところです。

現在の母校の所在地であります中野区の富士見町(現在の弥生町) は、戦時中、第五高女の皆様が開墾して、生徒が農作業を行っていた土地です。そして、第五高女は終戦後、当地で復活し、その後昭和25年(1950年) に都立富士高校となり、男女共学の学校として70年間が経過し今日に至るのであります。

新宿区の第五高女と中野区の富士高校の所在地は、以上のように戦前から深い繋がりがありました。先日、100周年記念碑の基礎工事の際に掘り出した土を、府立第五高女の記念碑の足元に埋め戻し、二つの土地の絆を更に深めるよう努めたところです。

完成しました100周年記念碑には、母校の歴史を簡潔に記すとともに、これまでに使われてきた3つの校章を表示しました。記念碑の色については、第五高女の記念碑と同様、エンジ色の石を用い、第五高女の制服のカラーにより第五高女をイメージする一方、記念碑の形状については、末広がりで安定感のある形により、母校の名称であります富士をイメージしました。

都立富士高校は、これまで数多くの困難や大きな変化を克服しながら発展し現在に至っております。10年前の平成22年(2010年)には附属中学校が併設され中高一貫教育校となり、来春には中学入試に一本化されることが決定しております。今後の100年間も、そして永遠に、母校が大きく発展することを心からお祈り申し上げます。

結びに、昨年の第五高女記念碑に引き続き、今回も記念碑の施工を担当していただいた(株)ジョウコウ様にお礼を申し上げるとともに、本日ご参会の皆様のご健勝ご活躍をお祈りし、若竹会会長としてのご挨拶とさせていただきます。

生徒代表の言葉・全文

本日、東京都立富士高等学校及び附属中学校創立100周年記念碑除幕式が挙行されますことに、生徒を代表し、心からお礼申し上げます。100年という記念すべき節目の年に、代々先輩方から受け継がれてきた伝統と歴史の重みを深く感じ、この場に立ち会えたことに喜びと感謝の気持ちでいっぱいです。改めて、深く感謝申し上げます。

平成から令和へと時代が移り変わり、また新たな歴史を築いていく中、世界中で新型コロナウイルスの感染が拡大し、この学び舎へ通うことのできない日々が続き、今年度は、多くの学校行事が中止となりました。しかし、この新たな学校生活の中でも、多くの生徒がお互いに向上を目指し、学業、部活動に懸命に励んでいます。富士高等学校及び附属中学校を卒業されて、現在様々な分野で活躍されている先輩方、また、日々、私たちの成長を見守ってくださる先生方への感謝とともに、私自身も、生徒会の代表として富士のさらなる発展を目指していきたいと思います。今後とも、御指導、御鞭撻のほどよろしくお願いします。

結びに、本日お忙しい中、お越しくださいました皆様、100周年にあたり、ご協力くださいました皆様に感謝を申し上げ、生徒代表の言葉とさせていただきます。

富士高等学校生徒会長 高校2年片岡里実