地理の新島先生が「戦争」について特別講義、卒業生13人が参加

 富士高校で地理の教鞭をとっていた新島岩夫先生の講義を聴く「第2回 新島岩夫先生と語る会」が、2016年6月5日、東京駅近くの貸会議室で開かれた。第1回は、2015年10月、高校33回卒のみの参加で開催したが、「他の期の方にもぜひ聞いてもらいたい」と、幅広く呼びかけを行い、22回卒1人、27回卒2人、28回卒1人、30回卒2人、33回卒3人、40回卒4人の計13人が参加した。

(13人が参加)

 第1回は、戦後70年ということで、「海軍兵学校」出身の新島先生に、「戦争」について、実体験を交えて講義していただいた。しかし、この回だけでは語り尽くすことができず、第2回講義をお願いした。
 第2回は、第二次大戦を中心に朝鮮戦争、ベトナム戦争までが講義の範囲だった。先生は、現役時代と変わらない口調で3時間、ほとんど休みなく語ってくださった。

(お手製の資料を使って講義)

 特に印象に残った内容は、次の通り。
1.先生自身が広島県江田島市で8月6日に体験した原爆のお話。爆心地から9キロ離れていたのにすごい爆発音と衝撃(先生曰く震度7クラス)があった。

(昭和20年8月6日に先生が9キロ離れた江田島海軍兵学校で目撃した広島上空のキノコ雲。きれいなピンク色した雲上部が印象に残っているそうだ)

2.終戦直後の8月20日に江田島から静岡へ復員する際、広島駅で約6時間の乗継待ちがあり、その短い間に被ばくした。静岡に着いた数日後に頭髪が完全に抜け落ちてしまったが、その後また生えて元に戻った。80歳の時に突然喀血し入院したが、被爆が原因ということで100万円くらいの医療費が無料になった。その時まで被爆している自覚がまったくなかった。
3.海軍兵学校入学後の1ヵ月間は上級生から毎日100発以上殴られた。その数年後に歯医者に行ったら「あなたの口内はボクサーのように傷だらけですよ。いったい何をされたんですか?」と驚かれた。
 体験者でしか語りえない貴重なものばかりでした。会終了後の懇親会でも富士高時代の裏話などもたくさん話され、87歳とは思えないほど、終始お元気だった。

(会終了後の懇親会でお酒が入ってご機嫌の先生)

 新島岩夫先生は富士高校で昭和30年代後半から20年以上地理の教鞭をとられた。先生は昭和20年4月に広島県江田島にある海軍兵学校に入り8月15日の終戦までそこで過ごされた。戦争体験された方たちが少なくなっている現在、当時の体験を交えて講義していただけたのは大変幸運だった。

(以下は講義用資料)

 

(高校33回卒 石渡研)