草月流師範会理事・藤本新子さん(高校11回卒)~自由で創造性のある作品を作り続ける

 富士高校の卒業生に会うと、ああ、この人は、やはり、富士高卒なのだなあと思うことが多々ある。様々な道を歩むOB、OGに会い、その足跡を追うとともに、富士高生の気質や文化を探っていきたい。


 いけばなの三大流派の一つである草月流の師範会理事として活躍されている藤本新子(ふじもと・しんこ 旧姓:大山)さんから若竹会にお手紙をいただき、「草月いけばな展」の日本橋高島屋内の会場をお訪ねしたのは、2013年の10月。大先輩に、お目にかかる前はやや緊張したが、明るく軽快な口調で作品について語ってくださった。
 雅号・藤本遙染(ようせん)と札が置かれた作品は、現代アートのコンポジションのようで、「いけばな」という言葉から想像するものを、いい意味で裏切る、大胆な作品だった。ご自身で焼かれた陶版と乾燥させたウチワヤシ(fan palm)の葉をリズミカルに組み合わせており、土と植物の楽しげなハーモニーが聞こえてきそうだった。その、自由で若々しい構成力に驚いた。

 藤本新子さんは1941年2月生まれ。「育った荻窪の家の玄関にはいつも母のいけた花が飾られていた」と思い出を語る。「花をいけることはあまりにも身近で自然なこと」で、富士高校では、当然のように、華道部に籍を置いていた。しかし、打ち込んだのは新聞部の活動で、原水爆反対運動などの取材もした。理科系の科目と音楽が大好きで、理科系の大学に進学したいと思い、いきいきと高校に通っていた。
 そんな新子さんを突然悲しい出来事が襲った。一家の大黒柱であった、お父様が、新子さんが高校2年のときに突然亡くなったのだ。3年生になると、3人姉妹の長女だった新子さんは、誰にも相談せず自分自身で、就職希望のクラスを選択した。
 卒業と同時に、1959年三菱商事に入社。自然に、華道部に入った。ここで出会ったのが、一生の師となる、草月流の福井草染先生である。個性を尊重し、型にとらわれることなく、自由な表現を求める草月流のいけばな。ほめられて育てられ、いけばなが楽しかった。20歳になると先生のアシスタントを務めるようになる。「アシスタントになってからは、先生は厳しくなり、徹底的に基礎を仕込まれた」。
 それから結婚し、子育ての期間などは、ペースダウンすることもあったが、草月流のいけばなを始めてから55年間、いけばなと真正面から向き合ってきた。今は7つの教室で教えるために駆け回る。これまでにホテルニューオータニや虎屋茶寮、新橋演舞場、中華飯店「聘珍樓」のディスプレイを手がけた。2010年には、いけばなインターナショナルモスクワ支部からの招へいで、初の海外でのデモンストレーション・ワークショップを担当した。 草月流理事以外にも「(財)日本いけばな芸術協会特別会員」「いけばなインターナショ会員」であるため、年間で13~15点もの作品を発表。創作と指導の毎日である。

 藤本さんの出品されている展覧会場に、今年になって再びお邪魔した。
 一つ目は、セントラルミュージアム銀座で開催された「第32回 書といけばなの出会い展」(5/27-6/1)。31人の門下生の方々とともに、昨年とは全く味わいの違う作品を出品されていた。淡いピンクと白の光の中でアンスリウムの花が踊りだしそうな、のびやかさと軽やかさを感じさせる作品だった。
 会場では、「先生!」と声をかけられて、生徒さんたちと談笑する場面を何度も見かけた。生徒さんに聞くと「たくさんのことを、限られた時間内に精一杯伝えようとしてくださる」、素敵な先生だそうだ。生徒さんたちが出品する際には、藤本さんは、自ら制作した花器を貸し出し、細やかにアドバイスをする。ご自分の作品制作にかけられる時間はほんのわずかになってしまうが、生徒さんたちが輝くことを何より楽しみにしている。そんなよき指導者としての一面を拝見することができた。

 もう一つは「草月いけばな展」(新宿高島屋6/5-6/10)。こちらは「次世代へのメッセージ みどりの瞬間(とき)」というテーマをもとに、「生」「楽」「激」「静」「優」という5つの場から構成され、「現家元の時代の風をしっかり捉えた大胆な作風」を中心に据えた展示会場は、そこに身を置いていること自体がここちよい空間に仕上がっていた。
 「楽」という空間に展示された藤本さんの作品は、植物の蔓で椅子をかたちづくり、今年のこだわりの色ピンクを添え、音楽を聴いて癒されたいという思いを込めて、小さな「楽譜」を散らしている。手によって一から編み上げられた作品は、見る人に安らぎを与えると同時に、静かなエネルギーに満ちているようだった。

 草月流の勅使河原蒼風、霞、宏、茜、4代の家元の異なる個性と作風のもとで、自分の力を蓄えていった藤本さん。「学びと感謝」の気持ちで、ひたすら歩んできた。
 しかし、流派の中での地位が上がっていくにつれて、高卒であるがゆえの悔しさを味わうこともあった。50歳の頃、「自分にもっと自信をつけたい」という思いで、通信教育で「武蔵野美術大学短期大学部・デザイン科ディスプレイコース」を履修した。忙しいなかで課題や試験をこなし、スクーリングにも出席。時には徹夜することもあったという。56歳で同コースを卒業。現在は同大学の校友会埼玉支部の副支部長を務める。
 このほかにも、「植物造形」「陶芸」「書道」など、いけばなの周辺のアート、デザインを学ぶ、研鑽の日々である。

{ご自身のこれまでの作品について、振り返りながら語る藤本新子さん}

 昨年、たまたま、自宅に届いた同窓会誌『若竹』の封筒を開いてみた。それまで「暗い顔をしていたにちがいない高校時代」を振り返る気にはなれなかったが、ページをめくっているうちに、「私も元気にやっています、ということを知らせたくなった」。
 今年73歳になった藤本さんだが、「100歳を超えて現役で花をいけている方もいる。その方を目指したい」という。「作品のアイディアが降ってくる限り、作品づくりも続けたい。朽ち果てるまでが人生。花の枯れゆく様もまた味わい、という言葉もあります」。
 自分が楽しむだけでなく「後継者づくりも課題にしたい」という藤本さん。草月流の作風のなかで、基礎をきちんと学んだうえで豊かな表現力を身につけていくことの大切さを、次の世代に教え伝えていきたいという。

(高校27回卒・落合惠子)