検事総長に就任した大野恒太郎さん(高校22回卒)が後輩にメッセージ 「臆することなく、法曹界を目指してほしい」

 東京・霞が関の中央合同庁舎第6号館A棟の19階にある検事総長室を訪ねると、美しい海外の山々の写真が壁に飾られていた。「人生においてはワークライフバランスが大切。妻と国内外の山々に登り続け、国内の百名山はもとより、海外も南極以外の全大陸の山々に足を運びました」と、今年7月、検事総長に就任したばかりの大野恒太郎さん(高校22回卒)がにこやかに語る。検察官の仕事は忙しいが、仕事に負けず劣らず、家族や趣味を大事にする大野さん。検察のトップに上り詰めても「富士高生らしさ」は失っていなかった。

 ――奥様の佳津子(かづこ)さんは、高校3年の時の同級生らしいですね。

 大野 クラスでは、しょっちゅう席替えがあったのですが、そのたびに彼女の隣に座りました(笑)。彼女とは、大学卒業直前に結婚しました。すぐに生計を立てなければいけないので、司法試験を受け、法律家を目指すことにしたのです。法律家になれば、世の中の役に立て、自分の人生も開けると思いました。

 ――法律が好きだったのですか。

 大野 子どものころから理屈っぽいところがあったので、法律を仕事にすることは自分に向いていると思って、東大法学部に入りました。でも、大学で法律を学んでいるときは、抽象的な話ばかりでつまらなかった。ところが、司法試験に合格し、司法修習生になると、法律が俄然、面白くなってきました。法律は具体的なケースに当てはめて、初めて生きてくるんです。こういう場合は、法的にどう解決するか――。いろいろな考え方が成り立ちます。それを1つひとつ考えるのが楽しかった。

 ――司法試験に合格すると、裁判官、検察官、弁護士のいずれにもなれますが、どうして検察官を選ばれたのですか。

 大野 そのときは検事は人気がなかったのですが、アクティブで面白そうだと思いました。検事が嫌になれば、いつでも弁護士になれるという気持ちもありました。

 ――なぜ人気がなかったのでしょうか。

 大野 当時は、「反権力」「自由業」という点で弁護士に人気がありました。検事は給料は安く、転勤も多く、大変なだけと思う人が多かったようです。

 ――検察官というと、今の若い人は、木村拓哉主演のテレビドラマ『HERO(ヒーロー)』を思い浮かべるのではないでしょうか。

 大野 昔、放送された『HERO(ヒーロー)』は見たことがあります。検事個人の力量や正義感、取り組み姿勢が事件の処理に影響するというのは、番組が描いている通りだと思います。
 事件は、被害者を含めた当事者にとって、一生の一大事ですから、検事の毎日は真剣勝負です。検事になってすでに40年近く。仕事はきつくて大変ですが、やりがいがあり、退屈したことはありません。
 様々の事件を通して、いろいろな職業、いろいろな境遇の人に接しました。
 拘置所の取調室で、夕焼けの西の空にそびえる富士山があまりに美しかったので、自分の父親くらいの年齢の被疑者に教えてあげました。二人でしばらく無言で眺めていると、彼が突然、泣き出しました。そんなこともある人間臭い仕事です。

 ――検察が対象にする事件は普通の刑事事件だけでなく、様々な法律違反の事件がありますから、大変ですね。

 大野 様々な分野を勉強しなければなりません。たとえば、特捜部にいたときは証券取引や金融取引も勉強しました。また、検察の仕事(捜査、公判)のほか、法務省では、法務行政や制度立法も担当しました。司法制度改革では、内閣司法制度改革推進本部事務局の次長を務め、十数本の法律を成立させました。その中で,裁判員制度の導入、法科大学院の創設、法テラス(日本司法支援センター)の設立などに携わりました。

 ――捜査、公判では、どんな事件に関わられたのですか。

 大野 東京地検特捜部時代には、東京佐川急便事件、金丸事件などに関わりました。

 ――自民党副総裁だった金丸信氏が東京佐川急便から5億円のヤミ献金を受け取りながら、政治資金規制法違反の罰金が20万円だったことに、不満を漏らす国民も多かったようですね。

 大野 それで検察庁の看板に黄色のペンキを投げつけられたこともありました。その後、脱税事件で金丸氏を逮捕し、その公判も担当しました。地検特捜部には丸4年、続いて金丸事件の公判に1年従事しましたが、特捜部時代は土日もまったくないほどの忙しさでした。

 ――検事総長になられて、どんなことに力を入れるお考えですか。

 大野 捜査公判の仕組みが大きく変わりつつあります。従来取り調べで自白を得た後、その自白を内容とする供述調書を裁判所に証拠として採用してもらうというやり方が長く続いてきましたが、こうしたやり方は日本だけのものでした。そして、時代が変わってきたことにより、もはや、そのようなやり方は通じなくなってきています。したがって、これからは自白よりも客観証拠を重視する流れを強めていかざるを得ません。
 検察・警察の密室での取り調べが問題となり、取り調べの録音・録画(可視化)の対象範囲を拡大しています。そうすることになった根本の原因は、何よりも、取り調べや供述調書に大幅に依存した捜査に無理が生じていることにあると思います。だから,自白以外で証拠を集める方法も考えなければなりません。
 法制審議会(法相の諮問機関)が司法取引の導入などを含む刑事司法制度の改革案を答申しました。
 司法取引というのは、一定の企業犯罪や暴力団が関係することの多い薬物犯罪等において,実行犯に、「真実を話せば、起訴をしない、あるいは求刑を軽くする」というような約束をして共犯について正直に話をさせ、背後にいる首謀者に迫るやり方で、諸外国においては広く採用されている制度です。独占禁止法の改正で導入された課徴金減免制度(リーニエンシー=談合やカルテルを最初に申告した会社は課徴金が全額免除され、刑事告発も事実上免れるという制度)を導入し、成果を挙げていますが、これとも通じるところがあります。かつての企業の犯罪では、上司の命令には絶対に逆らわない社員ばかりでしたが、いまはコンプライアンスに反することをすれば会社はつぶれると考える社員も多くなっています。犯罪を明らかにすることで、会社を救おうという考えになれば、取引に応じる社員も出てくるでしょう。
 「取引」というと印象は悪いのですが、正直に話をしたものが損をしないようにする制度だとも言え,事件の全容を解明したり、世の中をよくするといった正当な目的の実現のためには司法取引も一つの選択肢になると思います。

 ――裁判員制度などの司法制度改革の次に、検察改革に取り組まれようとしているのですね。

 大野 未来志向の検察改革が必要です。これまでのやり方でも無理をすれば数年は持つかもしれないですが、20~30年後までは絶対に持たない。裁判員制度の導入時は法務省、裁判所にも反対論が多かったのですが、司法制度改革を進めた結果、今や裁判員制度は良い制度として定着しつつあります。検察改革も屈せずに進めたいですね。

 ――これから法曹界を志す、高校の後輩たちにメッセージはありますか。

 大野 どんな仕事でも組織の論理と自己の信念の折り合いをどうつけるかが問題になりますが、法曹界は、基本的に、正論、合理性が支配する世界です。
 民主国家において法秩序は市民生活や社会・経済の基盤です。司法制度改革により「社会生活における医師」としての法曹の活動領域は今後、ますます拡大し、国際化も進んでいくと思います。
 法律を学んで社会の役に立ちたいという志のある人は、臆することなく、法曹界を目指して、能力や個性を発揮してもらいたい。
 しっかり法律を勉強するのは当たり前ですが、人間相手の仕事ですから、視野が狭く面白みのない人は伸びないと思います。法律以外にも、いろいろなことにチャレンジしてほしいです。

 ――法曹界で活躍されている富士高校OB、OGは多いのですか。

 大野 検察だけでなく、裁判官、弁護士、法学の研究者として活躍されている人がかなり多いと思います。例えば、今の高裁長官や法務省局長の中にも富士高のOBがいますよ。
(インタビュー・構成/高校27回卒・相川浩之)

大野 恒太郎 (おおの・こうたろう)氏
1952年4月1日東京都生まれ。1970年都立富士高校卒業。1974年東京大学法学部卒業、司法修習生。1976年検事任官、東京地方検察庁検事。2001年内閣官房司法制度改革推進本部事務局次長、2004年宇都宮地方検察庁検事正、2005年最高検察庁総務部長、2007年法務省刑事局長、2009年法務事務次官、2011年仙台高等検察庁検事長。2012年東京高等検察庁検事長等を経て、2014年7月18日、検事総長。