熊本大学医学部沿革の概要

 戦前の旧学制ではこの熊本に官立学校として、熊本医科大学、第五高等学校、熊本工業専門学校、熊本薬学専門学校、熊本師範学校、熊本青年師範学校があった。
 昭和24年5月31日公布された法律第150号国立学校設置法によってこれ等諸大学高等専門学校は廃止されそれらを基幹として医学部、法文学部、理学部、工学部、薬学部、教育学部の6学部からなる綜合大学、熊本大学が発足した。これが吾々の母校熊本大学医学部の誕生である。昭和20年(1945年)7月1日の戦災により本荘の学舎を焼失した熊本医科大学はその当時熊本城内二ノ丸の旧軍施設予備士官学校跡に仮住い中であり、正門には熊本大学熊本医科大学、熊本大学医学部と言う2枚の門票を付けていた。しかし、本学部の源をなした旧官立熊本医科大学は昭和4年5月1日当時の熊本県立医科大学が所謂官立移管を行ったものに基を求めることが出来る。このようにして、母校が歩いて来た歴史の跡を逆にたどって行けば明治の維新なって封建の世終り熊本城の廃城した明治3年10月4日の2日後の10月6日熊本藩が出した論告「藩政改革に当り漢学校医学館を廃し洋学校、病院を起こす」に至ることが出来る。更に思を遠く及ぼせば細川藩の医育は宝暦6年(1756年)細川重賢の創設した医学寮再春館に淵源を求めることが出来る。因縁話的に言えば熊本大学医学部が発足した城内二ノ丸は再春館学生の教養学部とも言うべき時習館のおかれた場所であった。熊本の地における医学教育はこの古さにおいて我々にうけつがれて来た。ここにその主な沿革を年代順に略記して見る。

沿革

宝暦6年12月 (1756) 肥後藩主細川重賢 医学寮を創設再春館と称する。これが肥後の地において医育機関がおかれた嚆矢である。
明治3年10月 (1870) 熊本藩知事細川護久 長崎より吉雄圭斎を招き、西洋医学の病院を創設する。
明治4年2月 (1871) 和蘭医官吉雄の推薦により、長崎医学校よりオランダ人マンスフェルトを聘して教師とする。肥後の西洋医学これより振興。
明治4年7月 (1871) 藩立医学所創立、廃藩により官立医学所兼病院(通称古城医学校)と改称した。
明治7年7月 (1874) 教師マンスフェルト任期満了により帰国。
明治8年3月 (1875) 医学校廃止され、病院は下通町に移り通町病院と称し、生徒を収容した。
明治10年2月 (1877) 西南の役の戦火により医学校及び病院尽く烏有に帰す。病院は本山に移り、北岡に仮病院を開いた。
明治11年4月 (1878) 病院を手取本町に建築、県立医学校として再興した。
明治15年10月 (1882) 医学校は甲種医学校の許可を受く。病院は医学校の附属となった。
明治21年3月 (1888) 勅令第148号により県立医学校廃止。病院は独立したが、翌年廃止され病院の機械器具一式個人に貸与され、私立熊本病院として経営され、春雨黌と称した。
明治24年10月 (1891) 私立九州学院医学部が設立された。
明治29年9月 (1896) 私立九州学院医学部を閉鎖、宝暦以来140年連綿として継続した肥後医育機関が廃滅しようとするに当り、県立熊本病院長谷口長雄は県の補助を受け、私立熊本医学校を創設した。(9月8日)
明治34年 (1901) 病院は本荘町(現在)に移転された。
明治37年2 月 (1904) 専門学校令により私立医学専門学校と認定された。
大正元年 (1912) 本荘地域の新校舎落成移転。
大正10年4月 (1921) 県に移管されて、熊本県立医学専門学校と改称され、県立病院も亦附属病院となった。
大正11年5月 (1922) 熊本県立熊本医科大学となり予科を設立。
大正13年9月 (1924) 県に移管。専門学校附属病院は大学附属病院と改称した。
昭和4年5月 (1929) 官立熊本医科大学及び同附属病院と称した。
昭和14年5月 (1939) 臨時附属医学専門部設置。
昭和14年10月 (1939) 附属体質医学研究所設置。
昭和20年7月 (1945) 戦災により基礎教室、臨床教室、附属病院の木造病棟全部焼失。
昭和20年12月 (1945) 熊本医科大学本部及び基礎教室を熊本城内二ノ丸旧軍用施設に移転し附属病院病室の一部を藤崎台元陸軍病院分院に移す。
昭和24年5月 (1949) 法律第150号国立大学設置法に基づき熊本大学医学部となり、体質医学研究所は熊本大学附置体質医学研究所となる。(医学部は基礎・臨床12講座となる)なお戦災以後は附属病院の復興に主力を注いだ。
昭和25年3月 (1950) 臨時附属医学専門部廃止。
昭和26年10月 (1951) 体研成人診療科が設置された。(昭和27年4月診療開始)
昭和29年3月 (1954) 旧制熊本医科大学の最終卒業式を挙行。
昭和29年4月 (1954) 整形外科学講座が設置された。(昭和29年5月診療開始)
昭和30年4月 (1955) 病理学第二講座を設置。熊本大学大学院医学研究科を設置。
昭和32年3月 (1957) 熊本城二ノ丸に置かれた基礎系教室新築、竣工(3月20日)は逐次本荘地区へ移転帰還。昭和37年度工事完了までつづく。
昭和36年3月 (1961) 歯科が設置された。(診療開始) 藤崎台分室を島崎町済生会病院内に移転し、段山分室と改称した。
昭和36年4月 (1961) 皮膚・泌尿器科学講座は皮膚科学講座と泌尿器科学講座に分離した。段山分室は廃止し、本荘地区に合併した。
昭和37年5月 (1962) 医学部基礎教室及び事務部並びに体質医学研究所を本荘町に移転。
昭和39年4月 (1964) 解剖学第三講座を設置。
昭和39年10月 (1964) 医学部附属病院中央診療棟竣工。中央検査部並びに中央手術部が設置された。
昭和40年4月 (1965) 学生定員20名増加、定員100名となる。
昭和40年8月 (1965) 体研小児診療科が設置された。(診療開始)
昭和40年9月 (1965) 医学部臨床教室及び附属病院管理部竣工。
昭和41年4月 (1966) 附属中毒研究施設(生化学部門)が設置された。
昭和41年4月 (1966) 麻酔科が設置された。(昭和42年3月診療開始)中央材料部が設置された。
昭和41年10月 (1966) 附属病院内科病棟竣工。
昭和42年4月 (1967) 中央放射線部設置。内科学第三講座を設置。医学部文化部室新築。
昭和42年11月 (1967) 医学部附属病院看護婦宿舎竣工。
昭和43年2月 (1968) 第三内科が設置された。(昭和43年2月診療開始)
昭和43年3月 (1968) 医学部基礎第三講義室及び実習室(B棟)増築。中央分娩部が設置された。
昭和44年3月 (1969) 医学部図書館分館書庫増築。
昭和44年4月 (1969) 脳神経外科が設置された。(昭和44年6月診療開始)
昭和44年7月 (1969) 体質医学研究所を新築し、九品寺へ移転。
昭和45年3月 (1970) 医学部基礎教室全部外装(タイル張り)工事完了。
昭和46年3月 (1971) ボイラー室竣工。
昭和47年3月 (1972) 集中治療部が設置された。
昭和48年4月 (1973) 学生定員20名増加し、120名となる。生化学第二講座及び附属免疫医学研究施設(免疫病理学部門)を設置。
昭和48年4月 (1973) 理学療法部が設置された。
昭和49年3月 (1974) 基礎系教室棟(A棟・B棟)増築並びに講義棟増築。
昭和49年3月 (1974) 病理部が設置された。
昭和49年4月 (1974) 附属中毒研究施設に神経中毒学部門を設置。
昭和49年4月 (1974) 医学部生化学第二講座を設置。
昭和51年1月 (1976) 肥後医育記念会より医育記念館寄付採納。
昭和53年3月 (1978) 本荘地区放射性同位元素総合研究室新築。
昭和53年10月 (1978) 救急部が開設された。
昭和54年3月 (1979) 外来及び臨床研究棟新築竣工。
昭和54年4月 (1979) 附属動物実験施設並びに附属免疫医学研究施設を設置。
昭和55年4月 (1980) 輸血部が開設された。
昭和56年3月 (1981) 附属動物実験施設新築竣工。
昭和57年4月 (1982) 免疫研・中毒研・統合改組、免疫医学研究施設(病理学、生化学、生物学、薬理学、アレルギーの五部門)として発足。
昭和58年4月 (1983) 循環器内科が設置された。(昭和59年2月診療開始)
昭和59年4月 (1984) 体質医学研究所の廃止転換に伴い代謝内科学講座及び小児発達学講座を新設すると共に、附属遺伝医学研究施設すなわち、遺伝生物学部門(細胞遺伝部と分子遺伝部)、遺伝病理学部門(発生・分化部と実験遺伝病部)、生体制御部門及び遺伝疫学部門を新設。成人科(体研)は附属病院代謝内科に、小児科(体研)は発達小児科になった。
昭和61年4月 (1986) 歯科口腔外科が歯科口腔外科学講座となる。
昭和61年7月 (1986) 臨床研究棟増築竣工。
昭和62年5月 (1987) 中央検査部が臨床検査医学講座となる。
昭和63年3月 (1988) MRI-CT装置棟(S1-473?)が竣工。
昭和63年4月 (1988) 感染防御学講座新設。学生定員20名減少し100名となる。
昭和63年10月 (1988) 楷樹会館竣工。
平成元年2月 (1989) 設備管理棟(R2-780?)が竣工。
平成元年3月 (1989) テニスコート竣工。
平成4年3月 (1992) 小児外科設置。
平成4年4月 (1992) 附属免疫医学研究施設の廃止及び附属遺伝医学研究施設の転換に伴い、免疫学講座及び分子遺伝学講座を設置すると共に、附属遺伝発生医学研究施設(発生遺伝部門、形態発生部門、分化制御部門、細胞複製部門、分子病態部門、遺伝制御部門、染色体構造部門、トランスジェニック実験室)及び大学院医学研究科脳・免疫統合科学系専攻(神経分化学講座、脳回路構造学講座、分子病理学講座、免疫識別学講座)を設置。これに伴い解剖学第三講座を廃止。
平成5年4月 (1993) 寄生虫病学講座を腫瘍医学講座に名称変更。循環器内科学講座を設置。
平成7年4月 (1995) 神経内科設置。医学部進学課程を廃止し6年一貫教育となる。
平成8年6月 (1996) 財団法人肥後医育振興会発足。
平成9年3月 (1997) RI総合センター、遺伝子実験施設竣工。
平成9年4月 (1997) 熊本大学エイズ学研究センター(病態制御分野、ウィルス制御分野、流行阻止研究分野)発足。
平成10年4月 (1998) 熊本大学動物資源開発研究センター(病態遺伝分野、技術開発分野、資源開発分野)発足。
平成10年4月 (1998) 附属病院総合診療部設置。
平成10年12月 (1998) 基礎研究棟竣工。
平成11年1月 (1999) 附属病院再開発整備事業着工式。
平成11年4月 (1999) 附属病院医療情報部設置。
平成11年4月 (1999) 救急医学講座設置。
平成12年2月 (2000) エイズ学研究センター、動物資源開発研究センター竣工。
平成12年4月 (2000) 熊本大学発生医学研究センター(初期発生分野、細胞複製分野、転写制御分野、細胞識別分野、形態形成分野、系統発生分野、神経発生分野、造血発生分野、臓器形成分野、組織制御分野、パターン形成分野、シグナル制御分野)、附属遺伝発生医学研究施設より改組・新設。
平成12年4月 (2000) 附属病院感染免疫診療部設置。
平成12年4月 (2000) 附属遺伝発生医学研究施設を廃止し、熊本大学発生医学研究センターを設置
平成14年3月 (2002) 附属病院西病棟竣工。
平成14年4月 (2002) 医学研究科医科学専攻(修士課程)を設置。
平成15年3月 (2003) 本荘総合研究棟竣工。
平成15年4月 (2003) 動物資源開発研究センター、アイソトープ総合センター、RI研究施設、機器分析センターおよび遺伝子実験施設を統合して生命資源研究・支援センターを設置。
平成15年4月 (2003) 医学薬学研究部設置。(3部門・11講座・71分野) 医学研究科修士課程、博士課程を廃止し、医学教育部修士課程(医科学専攻)、医学教育部博士課程(生体医科学専攻、病態制御学専攻、臨床医科学専攻、環境社会医学専攻)設置。附属病院総合臨床研修センター設置。
平成15年10月 (2003) 医療技術短期大学部を廃止し、医学部保健学科設置。
平成16年4月 (2004) 設置者が国から国立大学法人に変更。医学薬学研究部に寄附講座(画像診断解析学)を設置。附属病院診療科組織の再編を行い、6診療部門31診療科に改めた。
平成16年5月 (2004) 医学薬学研究部3部門・11講座・72分野となる。附属病院こころの診療科設置。(平成16年5月診療開始)
平成17年4月 (2005) 医学薬学研究部に寄附講座(感染症阻止学)を設置。附属病院周産母子センター設置。
平成18年4月 (2006) 附属病院医療技術部、外来化学療法センター設置。
平成18年6月 (2006) 附属病院の産科・不妊科を産科に改称。附属病院がん診療センター設置附属病院中央診療棟竣工。