母校へ続く道
4期生の私が通学していたころは、母校は萩原台の西端にあり、今のように湯山台へ抜ける道はなく、「きずきの森」あたりはゴルフ場でした。そのゴルフ場へ通じる道は宝塚市花屋敷側からだけで、湯山台から通じる道はありませんでした。(確か、ゴルフ場の名称は「花屋敷ゴルフ場」だったと思います)
そのため、母校への道は学校が行き止まりの状況でしたが、母校の裏手に南野坂住宅地が開発され萩原台、湯山台、南野坂を巡回する道路が作られました。そんな状況をお知らせします。
この写真が現在の校門前の状況です。昭和時代の卒業生の皆さんで、近年の状況をご存じない方はビックリされていることでしょう。左側が南野坂、湯山台へつながっています。
この写真にある校門からの道はまっすぐ萩原台団地の中に伸びていました。写真中央に2本ある電柱の幅がその面影を残しています。
この写真の中央にある細長い形態が、昔、道路だった面影を残しています。右の生垣の下までが道路でした。左側の道に付け替えられ、盛土されて整備され、以前は3年生の選択授業で花を植えたり、野菜を作っていた時期があったそうですが、今は遊休地でした。
このホームページは1期生から43期生まで、いろいろな年代の卒業生が見ていただけていると思い、今回は母校へ続く道の今昔物語にしてみました。