1919(大正 8)12.27 | 東京府立第五高等女学校設立認可(修業年限5ヵ年、定員500名)。 |
1920(大正 9) 3.31 | 白石正邦氏初代学校長に就任。 |
4.18 | 東京府第五高等女学校開校、第一、二学年各100名入学認可。 |
5.10 | 東京府豊多摩郡淀橋町字角筈879番地に新校舎一部落成。移転。 |
11. 5 | 開校記念式典挙行。 |
1921(大正10) 4. 1 | 定員750名に増加。 |
1922(大正11) 4. 1 | 定員1,000名に増加。 |
1923(大正12) 5.23 | 新校舎落成。 |
1924(大正13) 3.24 | 本科第1回卒業証書授与式挙行。 |
1925(大正14) 4. 1 | 補修科設置(修業年限1ヵ年、定員50名)。 |
1927(昭和 2) 4. 1 | 補修科廃止、家事専攻科設置(修業年限3ヵ年、定員120名)。 |
1930(昭和 5) 3.22 | 専攻科第1回卒業式挙行。 |
1939(昭和14) 3.31 | 学校長白石正邦氏退職、東京府立第七高等女学校長兼教諭伊藤清一氏第二代学校長兼教諭に就任。 |
1940(昭和15) 2.12 | 文部省告示に以て東京府立第五高等女学校夜学校設立認可。 |
2.17 | 東京府立第五高等女学校伊藤清一氏夜学校長を兼任。 |
4. 1 | 東京府立第五高等女学校夜学校開校。 |
1941(昭和16) 4. 1 | 夜学校を東京府立昭徳女学校と校名改称。 |
1942(昭和17) 4.15 | 学校長伊藤清一氏退職、東京府青山師範学校教諭堀江時三第三代学校長に就任。 |
1943(昭和18) 3.24 | 東京府立昭徳女学校第1回卒業式挙行。 |
3.31 | 東京府立昭徳女学校廃止。 |
4. 1 | 東京府立第五高等女学校第二部と改称。 |
7. 1 | 都制実施により東京都立第五高等女学校と改称。 第二部を東京都立第五高等女学校第二部と改称。 |
1945(昭和20) 4.14 | 戦災により校舎全焼。 |
4.21 | 四谷第五国民学校校舎の一部を借用して授業開始。 |
1946(昭和21) 4. 1 | 東京都立四谷高等家政女学校が本校に併合。 |
5.15 | 四谷第七小学校に移転。 |
1948(昭和23) 4. 1 | 学制の改革により高等学校となり、東京都立第五女子新制高等学校と校名改称し、高等女学校三学年を以て併設中学校を編成。 第二部を東京都立第五女子新制高等学校定時制課程と改称し高井戸分校を設置。 |
5.20 | 中野区富士見町に新校舎落成・移転。 |
1949(昭和24) 2.28 | 全日制父母と先生の会設立。 |
3.23 | 定時制高等学校第1回卒業式。第二部第4回(最終)卒業式挙行。 |
3.24 | 全日制高等学校第1回、高等女学校第27回(最終)、専攻科第20回(最終)、併設中学校第2回(最終)卒業式挙行。 |
6.17 | 学校長堀江時三氏深川女子高等学校長に転任、都立武蔵丘高等学校長手塚昇氏第四代学校長に就任。 |
11. 3 | 定時制父母と先生の会設立。 |
1950(昭和25) 1.28 | 東京都立富士高等学校と校名改称。 東京都立富士高等学校定時制課程と改称し、高井戸分校を同校定時制課程高井戸分校と改称。 |
3.22 | 第五高等女学校第二部第5回(最終)卒業式挙行。 |
3.24 | 第五高等女学校専攻科第21回(最終)卒業式挙行。 |
4. 8 | 全日制第一学年250名(男子100名、女子150名)入学・男女共学開始。 |
9. 1 | 高井戸分校独立して、東京都立松原高等学校定時制課程となる。 |
11. 5 | 全日制創立三十周年、定時制創立十周年記念式典挙行。 |
1951(昭和26) 4. 7 | 全日制第一学年300名(男子100名、女子200名)生徒定員900名になる。 |
1952(昭和27) 6.14 | 新校舎(三教室兼講堂)落成。 |
1955(昭和30) 6.30 | プール落成。 |
9.30 | 学校長手塚氏退職、東京都立大森高等学校長浅野時一郎氏第五代学校長に就任。 |
11. 5 | 全日制創立三十五周年、定時制創立十五周年記念式典挙行。 |
1956(昭和31)10.27 | 校舎改築・後援会結成。 |
1958(昭和33) 3.31 | 鉄筋校舎第一期工事完了(3階建延1,990.08㎡)。 |
4.25 | 上記竣工落成式挙行。 |
1959(昭和34) 3.31 | 鉄筋校舎第二期工事完了(3階建延674.38㎡)。 |
1960(昭和35) 4. 7 | 全日制第一学年400名(男子150名、女子250名)入学男女各50名定員増。 |
1961(昭和36) 4.15 | 鉄筋校舎第四期工事並びに追加工事完了(4階建延2,785.87㎡)。 |
4.30 | 鉄筋校舎第三期工事完了(4階建延1,146.18㎡)。 |
5.19 | 鉄筋校舎落成。全日制創立四十周年、定時制創立二十周年記念式典挙行。 |
7. 5 | 定時制全校生徒に給食開始。 |
1962(昭和37) 4. 9 | 全日制第一学年411名(男子160名、女子251名)入学し、全学級24となる。 |
1963(昭和38) 4. 1 | 学校長浅野時一郎氏病気により休職、東京都立広尾高等学校長井尾武雄氏第六代学校長に就任。 |
4. 8 | 全日制第一学年臨時一学級増により454名(男子165名、女子289名)入学し、全学級数25となる。 |
7.18 | 校外施設として山梨県清里に学校寮完成(木造一部2階建241.4㎡)。 |
1964(昭和39) 3.31 | 学校長浅野時一郎氏復職し、退職。校庭照明設備完成。 |
4. 8 | 全日制一学級増により全学級26となる。 |
1965(昭和40) 2.19 | 全日制学級増に伴う増築三教室落成(延578.58㎡)。 |
3.31 | 擁壁工事完了。 |
4. 1 | 学校長井尾武雄氏東京都立戸山高等学校長に就任、東京都教育委員会体育課長野沢要助氏第七代学校長に就任。 |
4. 8 | 全日制一学級増により全学級27となる。 |
1967(昭和42) 4. 8 | 学校群制度の実施により東京都立西高等学校と第32群に編成され同制度発足、第一学年440名(男子166名、女子274名)入学。 |
6. 1 | 所在地住居表示変更により中野区弥生町5丁目21番1号となる。 |
1968(昭和43) 4. 1 | 学校長野沢要助氏退職、東京都立赤城台高等学校長田村馨氏第八代学校長に就任。 |
12.26 | 別棟生徒会館完成(9月)都知事より引き渡される(204.40㎡)。 |
1970(昭和45) 6. 6 | 体育館完成(5月)都知事より引き渡される(919.25㎡)。 全日制創立五十周年、新制高校発足二十周年、定時制創立三十周年、体育館落成記念式典挙行。 |
1973(昭和48) 4. 1 | 学校長田村馨氏退職。東京都立赤城台高等学校長小山喜平氏第九代学校長に就任。 |
7.15 | 清里寮増築完了。64.6㎡(合計306㎡)。 |
1974(昭和49) 5. 8 | グランド改修工事完了。 |
12. 2 | テニスコート照明設備工事完了。 |
1975(昭和50) 1.28 | 校内放送設備全面改修工事完了。 |
3.10 | サッシ取り替え第一期工事完了。 |
1976(昭和51) 4. 1 | 学校長小山喜平氏退職。東京都立鷺宮高等学校長原晋氏第十代学校長に就任。 |
1977(昭和52) 9.13 | 防球網新設工事完了(校舎北側)。 |
1978(昭和53) 4. 1 | 学校長原晋氏東京都立戸山高等学校長に就任。東京都立杉並高等学校長重田一氏第十一代学校長に就任。 |
4.27 | 屋外照明設備改修工事完了。 |
9. 5 | 屋上一部防水改修工事完了(北校舎・西校舎)。 |
1979(昭和54) 3.31 | 南校舎高置水槽・ポンプ室改修工事及び揚水ポンプ2台新規取り付け・配電盤取り替え工事完了。 |
9. 3 | 北校舎ポンプ室改修工事及び揚水ポンプ2台、消火栓ポンプ1台取り替え工事完了。 |
9. 4 | 北校舎ポンプ室操作盤改修工事及び消火栓押釦火報発振装置連動工事完了。 |
1980(昭和55) 3.31 | 屋上一部防水改修工事(北校舎・南校舎)及び体育館屋根塗装工事完了。 |
4. 9 | 全日制第一学年臨時一学級増と臨時学級定員増により定員470名10学級編成となる。入学者454名(男子223名、女子231名)。 |
8.28 | 内部塗装その他工事完了(普通10教室)。 |
9.16 | 天井照明改修その他工事完了(普通10教室)。 |
9.28 | 全日制創立六十周年、定時制創立四十周年記念式典挙行。 |
10.11 | 校内整備工事完了。 |
1981(昭和56) 3.31 | 体育附属室工事完了。 学校長重田一氏退職。 |
4. 1 | 東京都立松原高等学校長道廣史行氏第十二代学校長に就任。 |
8.21 | 普通教室内部塗装工事完了(9教室)。 |
9.10 | 北校舎給水管改修工事完了。 |
10.22 | 普通教室天井照明改修(9教室)及び誘導灯改修工事完了。 |
1982(昭和57) 1.23 | 校庭南及び西側囲障改修工事完了。 |
3. 2 | 自動電話交換設備一式完了。 |
4. 1 | 学校群制度廃止、第3学区はA、Bの2グループに編成される。 |
8.16 | 校庭改修工事完了。 |
1983(昭和58) 4. 9 | 全日制第一学年臨時一学級増と臨時学級定員増により、定員470名10学級編成となる。入学者484名(男子250名、女子234名) |
1984(昭和59) 3.14 | 学年別の生徒自転車置き場(校舎の北側)完成。 |
7.31 | 東側フェンス改修工事完了。 |
8.22 | 北校舎非常通路防水工事完了。 |
1985(昭和60) 3.31 | 音楽室床板張工事完了。 |
4. 1 | 学校警備業務および定時制給食業務が委託となる。 |
8.21 | アルミサッシ取り替え工事完了(昭和50年度第一期工事)。 |
12.28 | 校庭南側防球網増設工事完了。 |
1986(昭和61) 3.31 | 学校長道廣史行氏退職。 |
4. 1 | 東京都教育庁指導部指導企画課長高橋正之氏第十三代学校長に就任。 |
9.12 | 北校舎外壁改修工事及び北校舎普通教室床改修工事完了。 |
11.30 | 屋外便所新設工事完了。 |
1987(昭和62) 4. 7 | 富士高校全面改築に関する委員会発足し、改築計画始まる。 |
4. 9 | 全日制第一学年臨時一学級増と臨時学級定員増により定員480名10学級編成となる。入学者480名(男子235名、女子245名) |
1988(昭和63) 3. 3 | 校庭における文化財発掘調査始まる。 |
12. 2 | 全面改築工事始まる。 |
1989(平成 元) 1.10 | 文化財発掘終了。 |
1990(平成 2) 3.29 | 全面改築工事による校舎、体育館、格技棟、ごみ収納庫・焼却炉完成・移転。 |
4.10 | 外構工事始まる。 |
1991(平成 3) 3.31 | 学校長高橋正之氏退職。 |
4. 1 | 東京都教育庁人事部職員課長山本明氏第十四代学校長に就任。 |
5. 8 | 外構工事によるグランド・テニスコート・駐輪場・屋外便所・通用門・薬品庫等改築工事完了。 |
1994(平成 6) 3.31 | 学校長山本明氏退職。 |
4. 1 | 東京都立武蔵村山高等学校長岩﨑芳敬氏第十五代学校長に就任。 |
7. 5 | 2階生徒ホールに有吉徹氏(高25回)作「不在の門」が展示される。 |
1995(平成 7) 4.10 | 学校週5日制が隔週になる。 |
1997(平成 9) 3.31 | 学校長岩﨑芳敬氏退職。 |
4. 1 | 氏家武彦氏第十六代学校長に就任。 今年度より全学年8学級となる。 |
2000(平成12) 3.31 | 学校長氏家武彦氏退職。 |
4. 1 | 高井宣昭氏第十七代学校長に就任。 |
2001(平成13) 3. 3 | 新体育館で第53回卒業式挙行。 |
9.29 | 創立八十周年記念祝賀会。 |
11. 4 | 若竹会八十周年記念総会。 |
2002(平成14) 4. 8 | 学校週5日制実施。 |
10.24 | 「都立高校改革推進計画・新たな実施計画」中野地区中高一貫6年制学校の設置が決定される。 |
2003(平成15) 3.31 | 学校長高井宣昭氏退職。 |
4. 1 | 東京都立玉川高等学校長佐治恒孝氏第十八代学校長に就任。 |
2005(平成17) 4. 1 | 学校長佐治恒孝氏都立晴海総合高等学校長として異動。 東京都立第四商業高等学校長藤井正俊氏第十九代学校長に就任。 |
2008(平成20) 4. 1 | 中野地区中高一貫6年制学校開設準備室発足。一般技能職の業務が民間委託となる。 |
2010(平成22) 3.31 | 学校長藤井正俊氏退職。 |
4. 1 | 東京都立大山高等学校長久永哲雄氏第二十代学校長に就任。 東京都立富士高等学校附属中学校開校(中高一貫校に、中学3学級高校5学級に) |
10.31 | 若竹会90周年記念総会 |
11. 9 | 富士高創立九十周年及び附属中学校開校記念式典 |
2012(平成24) 3.31 | 学校長久永哲雄氏退職 |
4. 1 | 上野勝敏氏第二十一代学校長に就任 |
2016(平成28) 4. 1 | 富士高・同附属中学が東京都教育委員会より理数アカデミー校(6年間)の指定を受ける 図書館業務が委託となる。 |
2020(令和 2)11. 5 | 創立記念日。創立百周年。 |
11.14 | 若竹会記念事業として、「大人の文化祭」開催(予定) |
11.21 | 富士高創立九十周年記念式典(予定) |
11.29 | 若竹会、創立百周年記念総会<祝賀会>(予定) |