昭和28年~昭和35年

昭和28年(1953) 3月 18日、埼玉県に移管され、学校名を「埼玉県立所沢高等学校」とする。
25日、県立移管と講堂完成に合わせて初の卒業式を挙行。
  4月 県立初の入学式を挙行。
  5月 講堂落成式及び県立移管祝賀式挙行。
※本校美術科教諭高橋多一により、三つ葉に「高」の校章決定
  6月 第1回四校対抗弁論(雄弁)大会が聖望学園で開催。
  10月 11日、運動会開催日から本校所在地を「狭山台」と愛称する。
埼玉県立所沢高等学校第1回入学生  女生徒のセーラー服は翌年から背広型になる(昭和28年4月9日)
昭和29年(1954) 4月 女子の制服をセーラー服から背広型に変更する。
本校が社会科実験校に指定される。
  6月 陸上部/関谷登三郎(棒高跳び)・久保田靖雄(棒高跳び)・清水一郎(110mH)・橋本正(砲丸投げ)が関東大会出場。
  10月 7日、第1回文化祭(現所高祭)を開催。
  11月 埼玉県高校保健環境優良校として表彰される。 (県内2位)
昭和30年(1955) 2月 2日、ロータリーの「伸びゆく青年像」除幕式(製作:山内壮夫氏)。
※全校生徒の校歌斉唱の後、生徒会正副会長により除幕
  11月 NHK公開録音「三つの歌」が本校講堂で賑やかに行われる。
※現在の「素人のど自慢」で所沢市制5周年記念として開催
昭和31年(1956) 6月 関東高校弁論大会で伊佐山芳郎が5位入賞。
昭和32年(1957) 11月 2・3日、第1回文化祭が実施される。
昭和33年(1958) 4月 生徒定員700名(普通科550名・商業科150名)
  6月 陸上部/比留間陽寿が110mHで、奥住強が走高跳びで関東大会出場。
第1回校内長距離走大会実施
昭和34年(1959) 5月 創立60周年記念並びに図書館落成式典挙行。
  8月 陸上部/奥住強が砲丸投げ・比留間陽寿が200mH・小山彰が400m・ 北田久美子が砲丸投げで高校総体出場。
昭和35年(1960) 3月 関西への修学旅行で専用列車「ひので号」の初の利用校となる。
  4月 今までの男女別学体制から完全共学化実施。
  7月 全国高校野球選手権埼玉県大会準決勝で大宮高に2-3で延長惜敗
(全校応援で大宮球場は満員になる)
※春季大会からのベスト4で甲子園出場準備のため体育後援会発足
  8月 陸上部/渡辺茂が800mで、北田久美子が砲丸投げ・円盤投げで高校総体出場。