平成元年~平成4年

平成元年(1989) 1月 スキー部/白石順子が関東大会出場。
  2月 生徒会及びHR委員会が中心となり要求実現委員会設置。
※体育館脇に冷水機設置
  3月 国公立大学の合格者が約80名に達する。
(明治大学の合格者が60名、日本大学の合格者が100名を越える)
校長相澤鎮夫、埼玉県立大宮高等学校長に転出。
  4月 埼玉県立自然史博物館長、紺野雄三が校長に着任。
  9月 生徒の自主的校内清掃美化運動「クリーンキャンペーン」実施。
平成2年(1990) 1月 スキー部/牧野弘明・須藤勝が関東大会出場。
  3月 東京六大学の合格者が150名を越える。(早稲田大学の合格者は34名)
  4月 再び臨時学級増で1学年11クラスとなる。
(男女比は5:4になり、男子クラスは解消)
家庭科の男女共修が始まる。
  8月 林美代子が埼玉県少年少女親善大使として、埼玉県の姉妹県オーストラリア・クィーンズランド州を訪問。
  11月 生徒総会で「生徒会権利章典」可決。
平成3年(1991) 2月 創立100周年記念事業推進委員会が県教育局に体育館増改修要請。
  3月 校長紺野雄三、定年退職。
  4月 埼玉県立入間向陽高等学校長、田中啓彦が校長に着任。
  3月 「クリーンキャンペーン」で新入生の教室の壁をペンキで塗装。
  7月 美術部/柿沼史子(絵画)が全国高校総合文化祭に出展。
平成4年(1992) 1月 スキー部/内園香織が関東大会出場。
  3月 東京大学合格者輩出(以後3年連続現役を含め男女4名が合格)
※同時に東京大学大学院にも合格者あり
  6月 ソフトテニス部/竹島哲・飯田恵久組県大会ベスト4で関東大会出場。
  7月 水泳200m・400m個人メドレーで高辻幸子が関東大会出場。
  8月 美術部/佐藤朱美(デザイン)が埼玉県最優秀賞受賞、全国大会へ出展。
  9月 吹奏楽部/関東大会で金賞受賞。
山岳部/関東大会に出場。