7.埼玉県所沢高等学校

昭和23年(1948) 4月 学制改革により所沢町立埼玉県所沢工業学校と所沢町立埼玉県所沢高等女学校が統合して、新制の「所沢町立埼玉県所沢高等学校」となる。
但し、男子部・女子部として、従来の別校舎で授業を実施。
校長には所沢工業学校長の小林栄次郎が就任。
※入学は男子部が所沢商業学校5年生(3年編入)と所沢工業学校4年生(2年編入)及び所沢工業学校併設中学3年生(1年入学)
女子部は所沢高等女学校併設中学3年生(1年入学) のみ
  6月 21日、高等学校昇格祝賀会挙行。※この日、現在の校歌が披露された
(作詞は本校生の渡辺弘子・作曲は本校教諭の仲 嘉子)
  12月 校長小林栄次郎、埼玉県与野農商高等学校に転出。
※翌年3月までは新井万平(所沢町長)が校長職務代理者となる
昭和24年(1949) 3月 新制埼玉県所沢高等学校初の卒業式。
※卒業生は男子部の旧所沢商業学校の編入生徒のみ
  4月 栃木県立日光高等学校長、山田健司が校長に着任。
新制埼玉県所沢高等学校初の入学式。
※入学は男子部が所沢工業学校5年生(3年編入)と所沢工業学校併設中学3年生(1年入学)、女子部は所沢高等女学校3年生(3年編入)及び新制所沢高等学校1年入学者(女子)のみ
  7月 「所高校友会報」復刊される。
  9月 生徒会創設(男子部のみ)
  10月 男子部女子部合同の新校舎建設育成会が発足。
昭和25年(1950) 3月 卒業式。卒業生は男子部の旧所沢工業学校及び女子部の旧所沢高等女学校の編入生徒のみで、男女合同で女子部講堂で挙行。
  4月 女子部に普通科の他に家庭科を設置。
  5月 初の男子部女子部合同での関西方面への修学旅行実施。
  8月 所沢町議会で新校舎を西武鉄道吾妻変電所脇(現在地)と決定する。
  9月 第1回全校一斉学力試験実施(国語・社会・数学・理科・英語)。
  10月 第1回四校対抗陸上競技大会が飯能高校で開催される。
参加校は本校と豊岡実業・飯能高校・正明高校(後に拓大一高が統合)。
※所沢市内にあった正明高校は後に聖望学園と交代するが、この四校 は陸上の他、 球技・弁論等で常に競いあっていた。
(交流はおよそ昭和30年代後半まで続いた)
  11月 所沢の市制により学校名を「所沢市立埼玉県所沢高等学校」とする。
昭和26年(1951) 2月 第1回校内弁論大会を女子部講堂で実施。
*この頃本校に第1応援歌が作られる
昭和27年(1952) 4月 生徒定員600名(普通科450名・商業科150名)
  7月 新校舎完成により男子部と女子部の合同入校式を行う。
  9月 本館及び第1校舎落成記念式典挙行。
  10月 男女合同の生徒会創設。
11日、所沢市及び同窓会主催の校舎落成記念祝賀会を実施
※この日を開校記念日とし、 創立記念日は7月1日と決定
第1回三校対抗球技大会開催。 (本校・豊実・飯能・後に聖望参加)