明治31年(1898) | 6月 | 「英和学研究者ニ告グ」との開塾の檄文発表 |
7月 | 1日、入間郡内初の中等学校「共立英和学舎(私塾)」が所沢の医師・白井要作邸で産声をあげる。 学校立ち上げは、所沢の有力者の熱意・努力と資金的援助により開校。 主たる教育内容は、英語と漢学であった。 教授者として、川越城主の家臣を祖にもつ、高松太喜次(東京専門学校<早稲田大学>・東京法学院<中央大学英語法学科>卒業)を招へいする。 ※高松は以後約30年にわたり実質的校長として指導にあたる。 |
|
明治32年(1899) | 4月 | 学校名を「共立和英学舎」と改称して開校する。 校舎も所沢の中心地に建設され、当時の埼玉県知事・正親町実正氏を招いて、盛大に開校及び校舎落成記念式典が挙行される。 |
明治33年(1900) | 12月 | 年末試験が開始される。(当時の在籍者数46名) |
明治34年(1901) | 5月 | 埼玉県知事から私立学校の設立が認可がされ、学校名を「私立和英学校」と改称する。 (当時の修業年限3年、入学資格12歳以上または高等小学校2年終了の者) 文部大臣から高松太喜次に対し、 本校教員(校長)の認可がおりる。 |
明治36年(1903) | 「校友会」発足・「校友会報」発刊 |