①英和学舎・和英学舎・和英学校の時代

明治31年~大正4年(1898~1915)

白井要作氏
(設立者代表・医師)
白井邸に最初の学舎を設置
英和学舎・開塾の檄文
(明治31年)
高松太喜次 舎主(主幹)
(在職期間・明治31年~昭和9年)〈37年間〉

明治31年、白井要作と小沢綾助が発起人となり、所高の嚆矢「英和学舎」を創立。
教授者として高松太喜次が招聘され、草創期の教授を一手に担いました。
小さな校舎、ボロポロの辞典、当時の学校生活は経済的にゆたかとは言えませんが、生徒たちは向学心にあふれ、自らを“来庵”と称した高松先生との交流から、真の教育と呼ぶにふさわしい、心のゆたかな日々が送られていました。


大正2年3月 高松先生と生徒たち

『開塾の檄文』

英和學研究者ニ告グ

 今ヤ國是ノ條約改正ハ各國卜完結ヲ告ゲ、内地雑居モ目前ニ迫リ、國家ハ現ニ内外ノ多事多望ノ軌道ニ向テ變轉シツヽアリ、飜テ諸外強國ノ挙動ヲ見ヨ、其視力ハ吾ガ東洋ニ注集シ、二十世紀ノ冒頭ニ於テ全世界ノ一大活劇ハ将ニ東亜ノ局面ニ爆發セントス、此時ニ際シ各國ノ事情ヲ知ラントセハ、宜ラク世界ノ普通語ヲ知ラサルベカラズ、世界ノ普通語トハ抑モ何ゾ、英語是ナリ、幸ナル哉、英語ニ熟練ナル高松太喜次君卜謀リ、滋ニ英學卜漢學ノ二科ヲ教授セントス、鳴呼賢明ナル父兄諸君ヨ、国家ノ将来ヲ観察シ、社會ノ流潮ニ背馳セザラン事ヲ祈ル、仰ギ冀クバ子弟ヲシテ遊戯ノ時間ニ此拳ニ浴セシメン事ヲ

所澤町有志者 謹言

七月一日ヨリ午前午後随意ノ時間ニ於テ教授ス
 但シ夜間モ教授スル事アルベシ
當分ノ中、白井要作氏方ニ於テ教授ス、委細ハ
同氏ニ就テ照會セラレタシ