同窓生へのインタビュー3

塩崎 由佳 (学部12回生)
くうねる訪問看護ステーション(三重県津市)

2023年10月現在

Q. 卒業後(から現在まで)の進路は?

同窓生インタビュー

A. 2012年3月に看護学科を卒業し、同年4月に三重大学医学部附属病院に就職しました。最初の配属先は10階南病棟(心臓血管外科・呼吸器内科外科)でした。入職してすぐは、外科の急性期から内科のターミナル期全般をみる病棟に苦難もたくさんありましたが、色々な知識経験を積む事が出来たと思います。特に呼吸器内科での患者様へのケアや対応を通し、ターミナル期にある患者様ともっと深く関わりたい、学びたいと思い、看護師5年目に退職。愛知県にある名古屋徳洲会総合病院に転職しました。こちらの病院には緩和ケア病棟があり入職しましたが、はじめの1年半は経験のある心臓血管外科の病棟への配属でした。病院のシステムややり方を学び、看護師7年目の時に念願の緩和ケア病棟へ配属。患者様とご家族様に関わり、お看取りや退院支援を行ううちに、在宅看護に興味をもちました。3年程緩和ケア病棟で経験を積み、看護師11年目である2022年、地元の津市へ戻り「くうねる訪問看護ステーション」を共に立ち上げ、現在は津市で訪問看護師として働いています。

Q. 看護師を目指したきっかけは?

A. 母、母方の祖母が看護師だった事もあり、物心ついた時から「看護師になりたい、自分は看護師になる」と漠然と思っていました。強く目指すきっかけとなったのは、高校の時の1日看護体験です。ありきたりですが、体験の中で関わった患者様のおばあちゃんに「ありがとうな、元気出たわ。」と言ってもらった言葉がとても嬉しかったのを覚えています。少し背中をさすっただけで喜んでもらえるなんて、看護師という職業の力はすごい!と感じ、そこから更に看護師を目指したいという気持ちが強くなりました。
 働く中で辛い事や苦しい事もあり、何度かくじけそうになった事もありますが、一緒に働く仲間や患者様方のおかげでずっと続けてこられました。また、看護師1年目の5月に母方の祖母が亡くなったのですが、祖母が入院中、亡くなる前に「うちの孫は3代目の看護師なんさ。」と看護師さんに嬉しそうに話していたと聞き、『大好きなおばあちゃんが自慢出来るような素敵な看護師になろう』と思ったのを覚えています。

Q.看護師として大切にしている思いや姿勢は何ですか?

A. 「自分や自分の大切な人が、してもらって嬉しい事をしよう」という想いを忘れないようにケアにあたっています。
 急性期病棟で働いていた頃、忙しさのあまりに患者様の話をろくに聞けなかった事、整容などを後回しにしてしまっていた事が心残りでした。緩和ケア病棟では、急性期病棟の頃よりは患者様ひとりひとりにかける時間に少し余裕が持てたと思いますが、病棟の性質上、入棟してから亡くなるまでの期間がとても短い方もいました。その人の想いや背景、家族関係などもあまり知ることができないまま、関係性もしっかり出来ないままのお看取りで、「もっとしてあげられた事があったかも」と悩む事もありました。
 在宅では病院と違い、利用者様(患者様)が慣れ親しんだ生活の場で、療養生活を継続するのに必要なことを、医療の視点から支援するといった要素が大きいと思います。利用者様やご家族様の想いを尊重しながらケアを行う必要があります。また24時間医療者がみている訳ではないので、訪問している時間以外にどのように過ごすか、本人若しくはご家族様が過ごしやすい方法は何かを考える必要があります。こういった点からも、急性期病棟や緩和ケア病棟の時にもどかしい想いをしていた、『対象者としっかり向き合う』『関係性をゆっくり作っていく』が、今は自然と出来ているような気がします。
 とはいえ、訪問看護師歴はまだまだ少なく、自分でその場でアセスメントをする能力、他スタッフに的確に相談・報告する能力をもっと伸ばしていかないとな、と思っています。はじめは、1人で訪問先にいくのも不安でしたが、わからない事や困った事は他スタッフに相談すればいい、利用者様本人やご家族様と共に一緒に悩み考えればいい、と分かり、今では少し心にゆとりをもって働けていると思います。
 三重県生まれ三重県育ちの私にとって、地元津市の地域医療に貢献出来ている事は嬉しく、津市で在宅療養を考えている、在宅療養で悩んでいる方々の力に少しでもなれたらいいな、と思っています。
 「自分や自分の大切な人が、してもらって嬉しい事をしよう」という想いを忘れずに、これからも地域連携を行いながら働いていきたいと思っています。