28回生 花﨑 雅彦 様

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第31回目は花﨑雅彦様にお願い致しました✨
花﨑雅彦さん 28回生(昭和52年卒業)
普通科 軟式テニス部(ソフトテニス部)部
🌸卒業後の略歴とご活躍🌸
岐阜大学 工学部工業化学科卒業、東海ゴム工業(現在 住友理工)入社
自動車部品の設計開発、品質保証部門を経て自動車ホース事業部長就任(グローバル事業責任者)
取締役 常務執行役員&CQO(品質最高責任者)などを歴任し2023年6月退社。
勤めた会社がグローバル化に舵を切った為、世界の多くの方と交流することができました。海外は25ヶ国、150回以上訪問しました。仕事ついでに多くの観光地を訪れました。
その中でも、想い出深いのは、東欧のポーランドにある古都クラクフです。街全体が世界遺産で美しい事もありますが、親日派が多くやさしい人達でした。それと、トルコのイスタンブルは東西文化交流の地として、イスラム文化に触れることができたのは興味深かったです。
また、CQO在任中、リコール問題でもつれ、総額157億円の訴訟を受けました。10年余の長期間にわたり、全知全能を傾けて全面勝訴を勝ち取るという中々経験もしました。よく、品質責任者なんて辛いだろうと言われましたが、若い時に上司から言われた「仕事はゲーム、そう思えば気が楽だ」を実行し楽しみました。
🌸現在のご活躍🌸
中部標準化懇話会 会長
コンサルタント「まちかど 改善塾」代表
日本規格協会/ワールドテック 講師、中部品質管理協会 シニアアドバイザー
主に中小企業の経営改革、工場改革の支援を行っています。
🌸桜台高校での思い出🌸
テニスですね。テニスが本当に大好きだった。
高校入学と同時に犬山へ引っ越したので、通学時間は2時間弱。朝練に出る為、朝5時前に起きて名鉄電車始発に乗り7時過ぎにコートに着く。夜も毎日20時頃に帰宅。勉強する時間もなく、授業はいつも居眠りタイム。英作文の佐藤哲五郎先生(1年生担任)からは、「お前は名鉄の肥やしだ」ときつい一言。でも、スポ根世代、決してへこたれませんでした。
当時、コートが1面しかなく放課後の練習は男女入れ替え制。先輩方のトレーニングが厳しかったですね。学校周回走(約630m)&足上げ腹筋(一人が走っている間、他全員が足上げ腹筋をする)が過酷。同期は1分50秒前後で走りますが、鈍足の私はどう頑張っても2分5秒。私が走る時は腹筋の時間が長くなるので、みんなに散々文句を言われました。先輩がインターハイに出たので我々もと思い頑張りましたが、あえなく予選敗退。負けたコートでペアの水谷君と呆然としたことが懐かしい想い出です。でも、当時の厳しいトレーニングや辛い経験があったので、その後の人生で、「なにくそ!」とどんな場面でも頑張れたと思います。
一方、テニスをしていたことで、被服科の彼女とテニスルックでファッションショーに出演しました。女子ばかりの観客で恥ずかしかった。 ショーの後、CBCテレビの取材で「普段どういうファッションで?」と聞かれ、「いつも家ではパジャマです」と答えたインタビューが放映されました。
🌸桜台高校100周年に寄せて🌸
高1の秋に 桜朋館で50周年の式典がありました。部屋の片づけをしていたら、その時に頂いた「文鎮」が新品のまま出てきました。
来年、100周年となりますね。もう50年経つと思うと信じられない気分です。次の50年式典は確実に迎えることはないので、100周年記念パーティーには多くの仲間に知らせ、想い出を語り合いたいですね。みんな、あつまろうぜ!
(編集者より)
鮮明な高校時代のお話、まるで私もそこにいたかのように楽しく読ませて頂きました❣️
ご卒業後のご経験もたいへん興味深く、100周年パーティーでお会いできるのが楽しみです😊そして何と言っても50周年記念品の文鎮のお写真✨貴重なものをご披露くださりありがとうございます。こちらは今もお手元にお持ちの方がたくさんいらっしゃるのでしょうか❓
桜台高校の100年の歴史の重みを改めて感じました😌