中学合格発表の日に皆で見に行きましたが 、“先生XX君の名前がありませ ん ″と 叫ぶ子がいました。先生もすぐに気付いて“間違 っていました ”ということで追加しました。ことほど左様に呑気な合格発表で、新制附属中学が始まりました。
始め男子は1組と2組の二組で、女子は一組の3組でした。 旧制度の高等小学校が廃止され、そこに在籍していた子供も中学一年生として 編入されました。1年か2年年令の違う子供もいま したが、一切区別せず1回生となりま した。一回生の男子組はワルが多かった様で、3年の時の担任は 1組が軍隊調の先生で2組はベテランの教頭先生が担任でした。
さて私の英語の話になりますが、中学校に入って初めて英語を習いました。先生は女性の的場先生でした。始めの授業は易しくて問題なかったのですが、過去分詞が出てくると途端に分らなくなりました。 いったい ″過去の分子 ″とは何だろうかと思い巡らして、全く理解できませんでした。既にお亡くなられましたが私の他に英語の出来の悪い子がもう一人いて、居残り特訓を受けていました。
英語は単語カードを作ったりして多くの時間を費やしましたが一向上達せず、どうして皆は英語が出来るのか不思議でした。ところが 3年になって高校受験は英語科目がない事が分かりました。 それで英語の事は忘れて他の科日に集中することが出来、どうにか高校受験に成功しました。
余談ですが英語の授業の始めには“Good Morning Mis Matoba“と言うのですが、中に ″Hys Matoba”とつぶやく子がいました。ある時その声が何人か重なって先生に聞こえてしまい、先生は怒って帰ってしまいました。その後誰 かが謝りに行って ご機嫌を直してもらいました。的場先生はある時 アメ リカ人の友人を連れてきて、生の英語を聞かせてくれました。これは今後の私の人生に大変参考となりました。
当然のことながら高校・大学入試と英語には難儀しま した。皮肉なことに会社に入 つて25年位経ってから、輸出部門に異動になりました。商談の時は部下や通訳を使って何とかなりましたが、難度の高さのある契約書は辞書を片手に目を通さなければなりませんでした。更に3年位経って何とアメ リカ駐在となりました。 妻と中二の息子は一緒に行きました。
それから7年アメリカに居ました。 私が帰国する一年前に息子は現地の高校を卒業し、妻と一緒に帰国しました。そして帰国後後直ぐに英検一級を取りました。案の定その息子は英語が堪能ということで海外駐在とな り、 そのまた息子と娘も外国生活が長く英語が達者で中一で英検一級と準一級を取りました。因みに彼等は暗記用の単語カードなどは一切使いません。 その孫達は日下日本で上の子は高校 下の子は中学で勉学中です。
拙宅の側 に英語教室があって 子供達が多くの時間と費用を掛けて勉強していますが 今流行のAIでも使ってもっと効率の良い語学修学の方法は無いものでしょうか。私が大勢の前で話をする時は原稿を書きますが、秘書が私に“この様な難しい単語を今時アメリカ人は使 いません” と言われて直されたことを覚えています。折角単語カードで覚えた単語でしたが、その努力と時間は無になりました。

