楽しい思い出-映画班

3回生の吉村さんから映画班の思い出の投稿を頂きました。


映画班の思い出(2020/06/13掲載)

吉村 悟 (3回)

割引入場券

確か3年生の時出来た班で、それまでは無かったと思う。映写フイルムなどは高くて手に入らない時代だったので、映画班とは名ばかりで実質は写真班だった。ではなぜ映画班と名付けたのかと言うと、映画の割引券を班の費用で30枚くらい購入し、校内で売っていたからだ。

その頃は娯楽も少なく、映画は大人気であった。ことに洋画で見る外国の生活は我々の憧れの的であって、猫も杓子も三種の神器といわれる冷蔵庫、洗濯機、自動車を手に入れることを自分の夢としていた。

私は映画班の班長だったので、渋谷の映画館まで良く割引券を買いに行った。入口で「割引入場券を買いたい」というとすぐに支配人室まで案内された。そして券を買い終わると「せっかく来たのだから、観て行きなさい」といつでも只で映画を見てもらった。大変ありがたい映画班長の役得だった。

イースターパレード

GHQ

映画の割引券販売以外のもう一つの映画班の活動は、カメラを担いで都内を撮影して廻ることだった。当時の日本はアメリカ軍に占領されていて、その総司令部は日比谷の第一生命ビルに有った。

誰と一緒に行ったか忘れたが、「マッカーサーの写真を撮ろう」と第一生命ビルの前のお堀の石垣の上まで登り、占領軍の総司令官が来るのを待ち受けていた。

やがて車が到着し、マッカーサーがビルの玄関に差し掛かったので、我々もカメラを取り出し撮影しようと身構えた。その時すぐ後ろに憲兵が2名近寄って来て、我々を睨んだ。カメラを銃と間違えて撃たれやしないかと恐怖にかられ、結局写真は撮らず逃げ帰った。

第一生命ビル

勝鬨橋

これも誰と一緒だったか忘れたが、当時の名所である勝鬨橋まで撮影に行った。その頃はまだ1日に5回20分くらい跳開していたので、我々も橋の月島側の固定部分でカメラを構え、開くのを待っていた。

やがて時間が来て勝鬨橋の可動部分がゆっくり持ち上がりだした。先端が徐々に開いて行き1Mほど間隔が開いたとき、一人の若いサラリーマンがひらりと飛び越えた。もう股の下には隅田川が見えたはずで、その蛮勇にびっくりした。

勝鬨橋が全開したのでその雄姿をカメラに収め、さて帰ろうとしたが今度は中々閉まらない。結局1時間くらい橋の向こう側で待たされ、やっと築地まで帰った。

勝鬨橋

フイルム詰め替え

何せ中学3年ともなると腹が減ってしょうがない。3時ごろにはどうしても何か食べたくなる。そこで映画班員は交代で校門の外に出掛け、焼き芋を買ってきた。でも迂闊な所では食べられないので理科室の暗幕を下ろし、
入口に「フイルムの詰め替え中、入室厳禁」と張り紙をして皆で食べた。

しかし匂いが残ったはずなので、たぶん映画班顧問の小松先生はご存じだったのではないかと思う。

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