平成21年6月10日(水)
吉村 悟(3回)
天気がやや危ぶまれたが、9時半にJR中央線塩山駅に着いた時には薄日も出て「これはラッキー」と天に感謝した。さっそく駅前のレンタカー会社に行きバンとセダンを一台ずづ借りた。バンのナンバーは「富士山ワーの1番」という大変立派な番号で幸先の良さを暗示するようなものであった。伊藤、毛利の両君の運転で大弛峠までの道を疾走し、1時間20分くらいで峠に着いた。
峠では曇りであまり遠くは見えないが、それでも暑くもなく寒くもない快適な気候だった。峠には既に十何台もの車が駐車していて、金峰山の人気が良く分かった。
車を降りて早速登り始めたが、結構急坂で息が切れる。今日は2,366mから2,499mまでの登りなので、軽い軽いなどと安易に考えたのが間違えだ。途中には可憐な花が咲いているが、段々花など目に入らなくなって来た。
- キバナシャクナゲ
- コメバツガサクラ
大学に入ってすぐの時に友達と二日とで信濃川上から入り、十文字峠を越えて甲武信岳に登り、甲武信小屋に泊り、次の日国師岳、大弛峠、金峰山と歩いたことを思い出す。金峰山の五丈岩に登った後、金峰山小屋で泊り次の日に瑞牆山に登るつもりだったが、金峰山小屋が満員で泊れなかった。
仕方なく「金山平に降りて遅くなっても東京へ帰ろう」ということいなり下山し始めた。しかしいくら7月でも夜8時近くなると足元も見えなくなるくらい暗くなってきて、その日の下山は怪しくなった。
我々の前にも二つのパーティが先行していて引き返して来たのだが、私の友人が「この道を下れば絶対金山平に出られる」と強引に説得し、我々と一緒にまた下山を始めた。しかし8時半には結局我々と二つのパーティはフォースド・ビバークせざるを得なくなった。
我々は寝袋持参だったので快適に寝られたが、他のパーティの人たちはかなり寒くて震えていたようだ。翌日はすぐに金山平に出ることができ、何事もなく家に帰った。
それはさて置き、元気会の面々は朝日岳までは快調に飛ばした。太陽は出ないものの雨は降りそうもなく、下界も一部見えてきた。朝日岳で昼食を取り、しばらく休んだ。休みの合間はやはり中学時代の話となる。何回も聞いたことのある話もあれば、半世紀以上経って初めて聞く話もある。昔の話は何時間しゃべっていても飽きない。
やっこらさと重い腰を上げてさらに金峰山を目指す。折角朝日岳まで登ったのにまた200m位下降する。「人生と同じだ頑張れ」といっても、つい皆さんの口から愚痴が出る。天気もだんだん悪くなって来た。
結構へばったころ岩場に差し掛かった。頂上は近い。岩に這いのぼり、ぜいぜい言いながら進むこと暫し、やっと金峰山の頂上に到着した。流石有名な山なので先客が何組もいる。
お互いに写真を撮り合いながら、歓談をした。
- 金峰山山頂
- 五丈岩
金峰山到着は予定した時間より早かった。これは私が標準のコースタイムを水増ししておいたためで、大体人並みで歩いたということになる。皆はさらに5分ほど先の五丈岩まで出かけたが、私は昔行ったことがあるので割愛した。
みんなが五丈岩から帰ったところで雨が降りだしたので、金峰山山頂を早々に退散して下山を開始した。また200mほど上り下りして朝日岳に登り、また上り下りしてピークをいくつか越えて、やっと大弛峠に到着した。帰りはペースが落ち、結局サバを読んだ私のコースタイム通りとなった。全員72歳だものね!
大方の車はもう姿を消していたが、我々の借りた車はちゃんと待っていてくれた。ありがたいことだ。帰りは三ツ本、森の両君の運転で塩山まで下った。目指す温泉は塩山駅近くの旅館ゆばたである。
無事に温泉に着き皆さんを下ろして、三ツ本、森の両君と私はさらに駅前まで行って、借りた車をレンタカー会社に返した。そこからタクシーで旅館まで取って返し、待ち望んだ温泉に浸かった。
流石温泉は肌を包み込むように優しく、すっかり疲れが取れた感じがした。事実、翌日以降も足の筋肉は痛くなかった。湯上りに飲んだビールは最高に美味しく、疲れが吹っ飛んだ気がした。旅館では食事が出ないというのとで、近所の中華料理屋から何品か料理を取って貰った。旅館からも漬物などつまみが大量に出され、しかもそれが皆美味しく旅館のもてなし振りには感謝した。
飲んで食べて満足した一同は塩山から特急に乗って、それぞれの家路に着いた。御苦労さま。また次回、何処かに元気会みんなで登ろう!
行程:塩山-(レンタカー)-大弛峠-朝日岳(昼食)-金峰山-大弛峠-(レンタカー) -塩山
参加:
男性)森、毛利、大迫、三ツ本、吉村、高広、伊藤、
女性)谷、大窪