【峰友通信】にまつわる思い出

ようやく「秋」を感じる気候に落ち着いてきたように思います。前回の事務局だよりで書いた【峰友通信】の郵送終了に伴い、発行にまつわる思い出を書きます。このホームページにはバックナンバーとして2003年11月発行の第7号から掲載しています。ご覧のとおり手作りの新聞です。1997年の秋に発行した創刊号は名称も定まっておらず「同窓会報」でした。その時に同窓会組織の名称を募集し、10月19日に母校で開催した第1回理事・幹事合同会議で《峰友会》に決まりました。

「同窓会報」は第2号、第3号と続き、1999年6月19日に母校で開催した第2回理事・幹事合同会議で、同窓会報の名称が【峰友通信】に決まり第4号から名称が変わりました。1999年と言えば21回生305名が卒業。会員数も7,943名。同窓会創立20周年記念事業として、阪急川西能勢口駅前にあるアステホールを借りて『ジョイフルコンサート』を行なった年でした。

28回生264名が卒業し、会員数が10,000名を超えた2006年の第10号発行後から手作り作業の見直しにかかり、2007年の第11号発行から製作発送を業者発注にしました。それまでは本部役員会のメンバーで企画、構成、原稿依頼、校正、印刷発注、封入・封緘、川西郵便局へ市外発送分と管内分、川西北郵便局へ管内分を搬入して郵送料金を支払い完了でした。郵便料金を少しでも安くしようと、〒番号ごとに輪ゴムでくくり数量チェック表の作成が一番たいへんな作業でした。懐かしい思い出です。