231 77年

FIFAワールドカップが開幕しました。賀茂高校にサッカー(蹴球)部が誕生したのは、今から77年前の1949(昭和24)年です。この年は、戦後の高校再編によって、旧 賀茂高校と西条農業高校が合併し、賀茂台地の地域総合高校として西条高校が誕生した年です。

新制高校の再スタートにあたり、旧制広島一中(鯉城高校 現 広島国泰寺高校)や広島二中(芸陽高校 現 広島観音高校)などに在学していた旧賀茂郡出身者の多くが西条高校3年生に編入学となりました。わずか1年の在学でしたが、翌年1950(昭和25)年3月の卒業生には、のちに賀茂高校の校長となる 溝西 護 氏 や、同窓会長を務める 坂田 正二 氏らが名を連ねています。また、鯉城高校から編入学した賀茂郡川上村(現 八本松飯田)出身の 福原 黎三 氏(写真) もいました。編入の前年度に全国優勝を果たしたサッカーの強豪校から、サッカー部のない西条高校への編入には様々な困難があったことと思いますが、福原氏は選手兼マネージャーとして、サッカー部の立ち上げやサッカーの普及に努力しました。

福原氏は、西条高校を経て、東京教育大学(現 筑波大学)へ進学。全日本の代表選手や監督として国際大会などでも活躍されました。また、指導者(保健体育教諭)としては埼玉県の浦和市立高校や広島大学教育学部附属高校を全国大会へ導くとともに、サッカー指導の理論的研究にも力を尽くされました。しかし、サッカーへの情熱を胸に指導者として充実した日々を送っていた昭和44年に末期の胃ガンが発覚、手術及び入院治療の甲斐もなく、翌年2月、38年余りの短い人生を終えることとなりました。

昭和45年7月に発行された追悼記念誌「サッカーに生きる」には、西条高校 教諭 定末 誠治 先生 や 鯉城高校サッカー部の同級生として同じく西条高校に編入した 木島 省吾 氏らの手記も掲載されています。世界最大のスポーツの祭典ともいわれる「サッカーワールドカップ2026」の開幕にあたり、全身全霊をかけてサッカーを愛し、サッカーを通じて人づくりに取り組んだ一人の同窓生の人生に思いを馳せてみたくなりました。

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