214 西島嘉六
賀茂高校の歴史のスタート地点は、JR西条駅の北口周辺にあたります。西条駅西側の跨線橋(黒橋)にほど近い有料駐車場にはかつて西条町立西条尋常高等小学校がありました。
その前身にあたる小学校の第7代校長が 西島 嘉六 です。儒学者の宇都宮龍山に師事した嘉六は、1892(明治25)年に西条尋常小学校に奉職し、1901年から校長を務めます。当時、小学校卒業後の進路として、男子には中学校や実業学校進学の道がありましたが、女子には中等教育を受ける場が十分ではありませんでした。それを憂いた嘉六は、1903(明治36)年に私塾学芸講習会を開設します。そして1906(明治39)年には多額の私財(当時の金額で600円)を投入し、私学学校令にもとづく西条女学校を設立しました。賀茂高校の歴史はこの1906年を起点の年としています。初代の校長は 田上 藤吉 が務めますが、1年半後には西条小学校を退職した嘉六が校長に就任し、以後、生涯にわたって地方女子教育の発展に寄与しました。
当時の校舎は教善寺の東側に隣接していました。第1回入学生の許可(入学式に相当)は1906年5月15日に執り行われ、入学生は20名程度にすぎませんでした。賀茂高校では毎年この日を「開校記念日」として受け継いでいます。校種や校名の変更を経ながら119年の歴史を積み重ね、卒業生は29,070名(令和7年3月現在)となっています。そして来年は創立120周年の年となります。

