187 学徒動員と原爆

東広島市「平和学習バス」の高校生スタッフ(30名)とともに平和記念公園での事前研修に参加しました。気温は30度を超え、湿度も高い広島市内でしたが、ルートの確認や慰霊碑等の学習に余念がない在校生に頼もしさを感じる一日でした。実施は7月26日(金)になります。

原爆ドームに隣接する動員学徒慰霊塔には、ミシンを踏んで軍服などの縫製作業に専念する女学生のレリーフが掲げられています。1944年、学徒勤労動員の通年化により賀茂高等女学校の教室にも多くのミシンが持ち込まれました。学びの機会は終戦まで奪われてしまい、広島陸軍被服支廠の学校工場になったのでした。

昼食をはさんで、賀茂高等女学校の生徒たちが被爆者の救護活動を行った本川小学校(旧 本川国民学校)平和資料館へも全員で訪問しました。当時、悲惨かつ過酷な状況にもかかわらず懸命に救護活動にあたった先輩方の心情に思いを馳せる時間となりました。当時3年生に在学した作家 大庭みな子(本名 椎名美奈子)は、この救護所での体験を多くの随筆や詩に残しています。その一つ「ゆく川の」(岩波書店『図書』掲載)一部抜粋をお読みください。

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