昭和21年卒 西川 美恵子

西条町下見にお住いの西川美恵子さんのご自宅で、在学当時の思い出話などをお聞きしました。昭和17年に高等女学校へ入学された西川(旧姓 市地)さんは寺家のご出身で、農繁期に農作業を手伝うことはありましたが、2年生までは教科の授業を受けることもでき、また、得意の短距離走で競技大会に出場したりと、楽しい学校生活を送られたそうです。しかし3年生になると陸軍の学校工場となった校舎内で軍服の縫製作業に、そして四年生になるころには広の第十一海軍航空廠での三交代制の勤労と空襲の不安に明け暮れる日々となり、原爆投下や終戦は広の宿舎で迎えられました。当時、親元から離れた15歳の少女にとって、たまに食料を持って面会に来てくれる母に会うことが大きな喜びだったそうです。勤労動員が解かれたのも束の間、西川さんら4年生と3年生の多くは原爆被災者の救護救援活動で広島市に入ります。西川さんは現在の広島市立大河小学校にて懸命に救援活動に当たりました。あれから77年の歳月が経過し、本年6月に93歳となられる西川さん。後輩である高校生たちの戦争・原爆体験の継承活動に対し「たいへん有難く、心強く思います。あのような戦争は二度とあってはいけません」と語っていただきました。

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