《会員だより》第1回 栃木孝惟先生インタビュー

――栃木孝惟先生は昭和43年(1968)4月に千葉大学人文学部に着任され、
平成11年(1999)3月にご退官されました。千葉大学名誉教授として現在も精力的に研究を継続されており、2023年2月に『源頼政と『平家物語』 埋もれ木の花咲かず』を吉川弘文館から公刊されています。人文学部時代から31年間奉職され、この間、評議員(6年)・文学部長(2年)を務められました。1981年の文学部設置から40年余が経過しましたが、その草創期から20世紀末に至る、およそ20年間をよくご存じでいらっしゃいます。往年の人文学部・文学部について、当時の思い出を語っていただきたいと思います。

――まず、ご在職時で一番記憶に残っていらっしゃることは何でしょうか。

何といっても、大学紛争です。私は、昭和43年に、文理学部から分離独立して発足した人文学部に着任しましたが、人文学部は人文学科、法経学科の2学科構成。人文学科は哲学・心理・史学・国文・英文・独文の6教室体制で、教員は各教室4名、計24名でした。法経学科は、新体制の初年度で教員は6名。教授会は間借りをしていた教養部2階の小会議室でした。初代学部長はイギリス史ご専攻の鶴見卓三先生。着任時のご挨拶で新学部の要として各教室にしっかりした人事を要請されたことが心に残っています。先生は程なく訪れた千葉大紛争に正面から向き合われ、あるべき出口の模索に尽瘁されていましたが、その時期の先生の言動、振舞いから重い教えを受けました。この紛争の基底には、大学のあり方、学問のあり方に関する答えの出ない厳しい問いかけが潜んでいたように思いますが、紛争がひとまず鎮静化した後も、心の底に沈んだその問いかけに私は長く拘束されたように思います。大学人としての駆け出しの頃に心から尊敬できる先生に出会ったことは、今にして幸福なことであったと思っています。

――栃木先生の大学運営については、三浦佑之先生がご退官時に執筆された「栃木孝惟先生を送る」(『人文研究』28号、1999)でも絶賛されていますが、鶴見卓三先生を範とされていたのですね。文学部時代についてはいかがでしょうか。

私が二期目の評議員を務めていた時のことと思います。私が属していた第三小委員会で、会議の最後に、吉田亮学長から、「これは大事なものなのでよく読んでおいて下さい」と小冊子が渡されました。研究室に戻ってすぐにその小冊子を読み、付されていた審議会のメンバーを見て、兼ねて宇野俊一先生が警告的に言われていた「民営化は必ずくる」という言葉が思い合わされ、直覚的に大変なことになるなという思いを持ちました。直ちに下村由一学部長の許に伺い、事態を報告しましたが、この事態は、ほどなく「大学設置基準の大綱化」という形となって現実化しました。要は大学の設置基準に関する文部省の規制を緩和し、大学の自主的努力によって教育研究水準の活性化・向上を図ることを促すという施策であったかと思いますが、同時にこの施策は大学社会にこれまでと異なる市場原理を導入することが試みられたことでもあったと思います。当時の文学部執行部はこの変化の時代に受け身であることの危険性を思い、当時要請されていた自己点検評価を積極的に活用し、自分たちのヴィジョンに基づく文学部の発展の機会と捉えようとしたように思います。宇野俊一先生が大学全体の自己点検評価の責任者となり、下村学部長は、他の学部に先駆けて『文学部―1993』を刊行されました。そうした状況の中、変革の一つとして廃止された教養部の先生方を受け入れての文学部の組織・カリキュラムの改変、そしてこれは念願だった人文社会科学系博士課程の設置が文学部に大きな影響を持った出来事でした。これらは責任者としては、下村先生が努力され、私が引き継ぎましたが、どちらも南塚信吾さんが高い能力をもって助力してくれました。私の学部長在任中のもう一つの重い仕事は自己点検評価の発展的継承という作業でしたが、これは御領謙評議員が主査として努力されました。この仕事の基盤としての、データーの収集整理という厄介な作業に、御領さんが夏休みのすべてを投入して下さった献身には頭が下がりました。この仕事は御領さんが学部長として継承・完成され、「文学部 1996」として結実しています。改組・博士課程の設置などで文部省との交渉の折、つくづく実感したのは、結局、交渉の成否は、各講座の日々の研究・教育がしっかりと行われているかどうかという一点でした。各講座に、日本を代表する研究者、熱い教育能力を備えた多くの方々を揃えていた当時の千葉大学文学部は他大学の責任者と対比して、困難な中にも相対的に労苦の少ないポジションであったように思います。大学紛争に引き続き、私の書棚の一隅に大学論に関する書物がまた積み重ねられたのが、この時期でした。

――ありがとうございました。最後に文学部同窓会についてうかがいます。人文学部時代から同窓会はございましたが、平成10年(1998)に文学部同窓会として新たにスタートしています。この時のことについてお聞かせください。

同窓会に関して、私が多少の関心を持つようになったのは、やはり学部長職に就いてからで、同窓会と現役の学生たちとのつながりを強くしたいなというような思いが生まれました。というのは、私の属していた国語国文学講座で、毎年夏に学会を開催していましたが、この学会は卒業生の寄付金で支えられていましたので、学会の発表には必ず学問とはかかわらない方面に進まれた卒業生にもお一方(ひとかた)講演を依頼してきました。この卒業生の実社会各方面のお話はたいへん新鮮で、有益かつ面白く、これを同窓会の基軸として学部全体の企画にし、就職を目指す現役在学生の勉強の一助にできないかと考えた次第でした。学部長在職時は諸他の仕事に忙殺され、その思いを実現するには至りませんでしたが、学部長職を退いた直後から、まず他学部の同窓会のあり方を調査したいと思い、各学部の同窓会の責任者にお目にかかり、いろいろお話を伺い、その結果を整理して、御領学部長にご報告しました。各学部にはそれぞれ固有の特色がありました。私は、平成10年の文学部同窓会の再スタートについては、もはや詳細を知りませんが、その再スタートこそ新たな文学部固有の特色を持った同窓会の幕開けになったのではないかと思います。

――卒業生による在学生へのご講演は現在、「現代社会で働くこと」という文学部の共通基礎科目になっておりまして、昨年まで私が世話人を務めておりましたが、毎年100名程度の受講者を得る人気授業になっています。最後に文学部同窓会に向けて一言いただければ幸いです。

共通基礎科目の設定、嬉しいニュースです。ホームカミングデイの設定を初め、各大学でいろいろな同窓会活動の活発化が試みられているようですが、時代の変化に即応した文学部同窓会のご発展を祈念しています。

追記:本インタビューは、2023年10月30日(於:栃木孝惟先生御自宅)におこないましたが、諸般の事情により公開が遅くなりましたことをお詫び申しあげます。

(文学部同窓会・久保勇記)

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