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沿革

 本校の前身である神奈川県立横浜第二高等女学校は、1936(昭和11)年、横浜市内4校目の公立高等女学校(※1)として、中区立野に所在した神奈川県女子師範学校(※2)に併置される形で開校しました。
 このとき制定されたボレロの制服は、東京府立第一高等女学校(※3)の制服をモデルにしたもので、当時としても非常に珍しかったといいます。2009(平成21)年3月まで、本校の象徴として長く親しまれました。

 戦争による受難の時代(※4)を経て、1948(昭和23)年には新制高等学校となり神奈川県立横浜第二高等女学校と改称しました。さらに1950(昭和25)年には男女共学化し、神奈川県立横浜立野高等学校と改称しました。

 東京オリンピックと同年の1964(昭和39)年には、開校以来の中区立野の地から、現在の中区本牧間門の地へ移転しました。立野の丘からは離れましたが、横浜南部学区(のち横浜臨海学区)の伝統校として、堅実に歴史を重ねてまいりました。
 なお、1966(昭和41)年には旧校地に山手分校を設置しましたが、山手分校は2年後に独立分離し、後に神奈川県立光陵高等学校と改称し現在に至っています。

 2011(平成23)年には、老朽化した校舎の全面建て替えのため、旧港南台高等学校の校地・校舎に全機能を移転しました。2014(平成26)年には本牧間門の現校舎に再移転を果たし、その2年後の2016(平成28)年には創立80 周年を迎えました。

 来たる2026(令和8)年には創立90 周年を迎えます。卒業生は2 万名を超え、親子2 代・3代で立野生という方も少なくありません。県下有数の伝統校として、さらなる歴史を重ねてまいります。

※1 小学校を卒業した女子が進学する5年制の女子中等教育機関。現在の中高一貫校にあたる。
※2 現在の横浜国立大学教育学部の母体のひとつ。
※3 現在の東京都立白鷗高等学校。
※4 1943(昭和18)年には4年制に短縮されたり、勤労動員が始まる等、教育の戦時化が強まった。また、1945(昭和20)年5月の横浜大空襲では本校も被害を受け、同年10 月まで教育活動が停止された。