21期生 下井 一夫(滋賀県彦根市在住)

剣道部に所属していた下井さん(前列右から3人目)。
吹高への入学は、衝撃的な出来事から始まりました。それは、入学式の時です。突然、上級生が舞台袖から出てくるや「これが吹田高校の現状だー」と言わんばかりにバケツに集めた煙草を我々に見せ、訴えたのです。保護者席から悲鳴が聞こえる中、数名の先生がその生徒を舞台袖に連れ出した光景は今も鮮明に残っています。先生たちは、この生徒の想いを受けとめたのでしょう。一年次は全校集会が何度か開かれました。今思えば、時代的に学生運動が華やかなりし頃でした。
印象的な事といえば、一年次の進路講習会で話された卒業生の進路体験談です。確か十年程かけて東京大学に合格されたというお話でした。東京大学も凄いが、約十年という浪人生活にも驚きました。
クラブは、剣道部に入部したものの当初は「一日が剣道で始まり、剣道で終わる」感覚でした。何度か部を辞めたいと思いましたが、先輩や同級生の支えもあり3年間続けることができました。その当時、三年(19期)生は、新人戦で三位等の優秀な成績を収められていましたが、私たちの時代には、市レベルの大会では、個人戦で段外、初段の部で優勝、二段の部で三位になったものの、府レベルの試合では思うような成績を残すことができませんでした。ただ剣道では意外な出会いがありました。高校の教員になってからですが、大阪府の教員剣道大会で、高校時代は剣道部には所属していなかったものの、大学卒業後、母校に赴任して数学を教えられていた石崎さんと同じチームで戦った体験は懐かしい思い出です。
受験勉強に関して言えば、三年の夏休み前に同級生が先生にお願いして数学の夏期講習が行われました…が私には演習課題は難解なものでした。また旺文社の校内摸試や、先生から勧められた予備校の学外摸試の結果も厳しく実力と受験とのはざまでもがいていました。そのような中、クラスメイトと授業が終われば図書室で、そして図書室が閉まると教室に戻って夜の七時頃まで勉強して帰宅することもありました。
高校時代を振り返れば、結果的にクラブと勉強の両立を目指すことになりましたが、毎日の勉強にかけた時間の割には学力が伸び悩み、そのストレスからか帰宅途中に胃痙攣を起こしてしまい、暫く座り込んで動けないこともありました。
しかし、本校入学前に目指していた現役での国立大学には〝運〟が味方して進学することができました。また高校時代の同級生や剣道部の人たちとの出会いは、卒業後も現役時代には考えられなかった新たな出会いとなり繋がりとなっています。当初、同級生の剣道部員と柔道部員だけで始まった同窓会は、広がりをみせています。また剣道部の先輩達との交流会もあり、この時代に同じ体験をした人たちとの繋がりができました。
現在、滋賀大学経済学部に社会人入学していますが、一昨年七段を拝受し、剣道の奥深さを感じるとともに若い学生と一緒に学ぶことができる生活環境と妻に感謝しています。

現在の下井さん。

書籍「『可能性の体育』としての特別支援体育と体育の本質」第5章。この中で下井さんが対談している。
経歴
| 昭和48年 | 吹田高校卒業 |
| 昭和52年 | 高知大学教育学部特設体育科卒業 |
| 昭和53年 | 大阪教育大学教育専攻科修了 |
| 昭和56年 | 大阪教育大学大学院教育学研究科修了 |
| 昭和56年 | 大阪府立高等学校教員 |
| 平成24年 | 大阪府立看護学校教員・教員を早期退職 |
| 平成26年〜28年 | 大阪体育大学非常勤講師 |
| 令和3年 | 滋賀大学経済学部企業経営学科入学 |
| 令和6年 | 書籍「『可能性の体育』としての特別支援体育と体育の本質」第5章(対談) |
| 令和8年 | KINTO未来ファンド賞受賞 現在も、滋賀大学経済学部在学中 |


