部活動(バレーボール部)への思い

21期生 荻野 正晴(伊丹市在住)

 私が吹田高校に入学したのは、1970年の大阪万博が開催された年でした。

 入学した時は、部活のことは考えていませんでしたが、バレーボール部に入ったクラスメートの話を聞き、バレーをやってみようかと思い、入部しました。当初は、まったくの未経験だったため、パスすら出来ませんでした。それどころかトレーニングでも、ランニングをすればチームで一番遅く、また腕立て伏せは一回も出来ないほどの体力でした。何とか皆について行くため、家でもボールを触り、ママさんバレーに行って練習させてもらったりしながら努力はしました。

アタックを打つ荻野さん。

 それらが実り、夏休みを過ぎた頃から多少なりとも技術が向上し、パス・レシーブ・スパイクと出来るようになり、遅れを取り戻すかのようにチーム内でレギュラーとして活躍出来るようになって行きました。2年生の終わり頃には、もっと上手くなりたいと、大阪体育大学を志望するようになりました。大体大に入ってからは、一流のプレーヤーを目指し、4年間頑張りました。同期生は20人以上居て、その中には国体やインターハイに出場していた者もいたり、各高校でエース的な存在の者ばかりでついて行くのが大変でした。

 大学を卒業し、自身もプレーヤーとしクラブチームで続けたり、指導者としてはママさんバレーやバレー教室の指導者としてバレーボールに携わっていきました。

 そして45歳になった頃、高校・大学の先輩が勤務している中学校のバレー部のコーチの依頼があり、2年間ほど行くことになりました。同じ頃、吹田高校女子バレーボール部の監督(先生)が転勤になるということで、先輩や監督ご本人から高校のコーチの依頼も有りました。

 そこで平成16年頃から吹田高校女子バレーボール部のコーチに就任。当時、同部は大阪府で2部のチームでした。私が指導を始めてから初めての試合では、格上の1部のチームにも勝ち、3回戦まで勝ち上がり強豪チームには負けはしたものの良いチームでした。

 その後チームとしては、年々部員が減少し、学年によっては部員数ゼロの年もあったりで部員確保が大変な時期が続いた事も有りました。ここ10年位は、各学年そろうようになり、チーム状況も4部から2部へと上昇して行くようになりました。現在は4部に甘んじていますが、また3部、2部を目指し日々活動してくれています。私も歳には勝てずなかなか思うような指導は出来ない体力になって来ており、練習も子どもたちが自主的に行っているのが現状です。

現在も吹田高校女子バレーボール部をコーチとして指導している荻野さん。

 吹田高校の部活動は現状各部ともに部員数が少なく、その中で頑張って活動を行っています。もっともっと部員が増え、活発な部活動になってくれることを希望します。OBの方々に良い成績を報告できるよう、その一環として我々が手助けできたらと思い、指導を続けていきたいと思っています。是非OBの方々も高校に来ていただき、練習や試合をしている姿を見て、後輩たちにエールを送っていただけたら幸いです。

経歴

昭和48年 吹田高校卒業
52年 大阪体育大学卒業
58年 株式会社トーホー入社
平成16年 吹田高校女子バレーボール部コーチ就任
令和元年 株式会社トーホー退社
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