4期生 福地 佐代子(旧姓 黒嶋)(東京都在住)

放送部の皆さんと。左から2人目が福地さん。右から2人目が美見先生。
今から74年前、吹田市原町に府立高校が新設されることになり、三才上の姉が通う相愛女学校のPTA役員をしていた母が、相愛から初代吹田高校の教頭に瀬ノ口先生が赴任されると聞き、母の勧めで私は受験を決めました。
三年の時、クラス替えで増田先生が担任になり、男子ばかりで女子は私を含めて四名でした。初日のホームルームで増田先生は「このクラスはクラブ活動禁止、放課後は残って勉強を」と、熱心な力の入れようで、優秀な生徒を育てようと一生懸命でした。
私は放送部に入りたくて、一日で女子ばかりの七組に変わりました。新しく出来た校舎中央の小さな放送室では、技術部の原さん、藤原さんがアンプやスピーカーの機器を取り入れ、演出の田中さん、岩崎さん、田主さん、宮下さんと一緒に、標準語講習会や放送劇「えり子と共に」の出演でNHKの大阪放送局に出向いたりしました。まさか主人がNHKの会長に就任するとは思いもしませんでした。
綱島先生の物理の宿題などをよく放送室に持ち込んでは、顧問の美見先生に難問を教えていただきました、
部活を終え、帰る田んぼのあぜ道では、立派なエビオス工場と大きな桜の木を覚えています。10分ほど歩き、産業道路を右手に出て、JR(当時は国鉄)吹田駅から続く長いアサヒビール工場の土塀から香るホップの匂いを嗅ぎながら、阪急市役所前(現吹田)駅まで友と楽しく歩いた日々でした。
卒業後は自宅近くのアサヒビールに入社し、三年後に結婚退職しました。また主人がこの会社の社長、会長になるとは想像すらしませんでした(元アサヒビール社長・会長の福地茂雄氏。NHK会長なども歴任)。
子育てをしながら絵手習いをし、富士山の見えるところにアトリエを建て、絵筆を持つより、ガーデニングや庭の草取りで、東京と行ったり来たりの日々。一昨年にはコルシカ島(地中海西部、イタリア半島の西に位置するフランス領の島)在住の松井守男画伯と神田明神で二人展を開き、いつも見上げていた富士山の絵を何点か出品しました。
多くの仲間と出会い、今まで元気で過ごして来られたこと、素晴らしい人生とは、この宇宙の中では、ほんの小さな小さな出会いですが、出会うべくして出会った「人と人との出会い」は私の宝物です。高校時代の友人とは、今も大切に続いています。どうか皆さんも大切にしてください。
- 福地さんが、画伯・松井守男さん(フランス最高勲章のレジオン・ドヌール勲章受賞)と二人展を行った際の記念撮影。
経歴
昭和31年 | 吹田高校卒業 |
31年 | アサヒビール(株)入社 |
34年 | 結婚の為退社 |
令和4年 | 松井守男画伯と二人展 |
この寄稿をお送りいただいた後、福地さんのご主人である元アサヒビール社長・会長の福地茂雄さんが令和6年1月にご逝去されました。
謹んでお悔やみ申し上げます。