13期生 奥谷 義信(吹田市在住)
昭和37年に吹田高校に入学。すぐに陸上部に入部しました。主に200メートル走を中心に、3年間クラブ活動に力を注ぎました。その間、顧問の先生に日々指導していただきましたが、試合結果は、大阪府大会に出場するも、いつも予選落ちで悔しさが残る3年間でした。
ただ自慢できるのは、それでもあきらめずにクラブ活動をやり遂げたことでした。当時の陸上部は、家族的な雰囲気の中で、それぞれが思いやりを持った仲間でした。そのことが最後まで陸上を続けられた要因であり、当時の部員の方々には、楽しい高校生活を過ごさせていただいたことに、感謝申し上げます。ありがとうございました。
私が60歳頃に一度、吹田高校のグラウンドを訪問し、陸上部の後輩たちの練習をそっと見つめていました。その時、私も同じように汗を流した経験を懐かしく思い出し、もう一度やり直せるならば…と。クラブ活動っていいものですよ!
吹田高校卒業後は、昭和40年4月、吹田市役所に就職。その後、市役所内の部署をはじめとする、数多くの職場を経験しました。
私が45歳頃に、尊敬する先輩に指導を受けた際、心に残っている言葉が「人に優しく」、「人に情けを持つ」。この2つがありました。この教えを胸に刻み込み、その後の公務員人生が、新たにスタートしたことが思い出されます。
各部署の部長を歴任するなかで、最後に特別職の1人として、水道事業管理者に任命されました。今から振り返れば、母校出身の先輩、後輩に助けられ、支えていただき、公務員の職務を全うできたことが、最高の喜びでした。
ただ今、残念なのは吹田市役所に母校出身の後輩が少ないことが寂しい限りでありますが、市会議員として二人の後輩が頑張っておられることをうれしく思っております。お二人の今後の活躍に期待しています。
定年退職後、60代後半から現在まで、ボランティア活動として、地区の福祉委員長や吹田市社会福祉協議会の副会長に就任し、日々時間を忘れて福祉活動をやっています。
そんな時、ある会合で高校時代の同級生T氏と出会いました。T氏は野球部、私は陸上部。お互いに同じグラウンドで汗を流した仲間でした。

現在は吹田市社会福祉協議会の副会長を務める奥谷さん。
卒業後60年以上が経過していますが、共に福祉活動ができることに喜びを感じながら、こうした縁に恵まれたこと、吹田高校出身であることに感謝しています。
来年には、お互いに80歳になりますが、もう少し福祉活動に取り組み、自分自身の為にも頑張ります。T氏と共に!
経歴
昭和40年 | 吹田高校卒業 |
昭和40年 | 吹田市役所就職 |
平成11年 | 吹田市人権部部長 |
平成14年 | 吹田市学校教育部部長 |
平成16年 | 特別職 水道事業管理者 |
平成20年 | 土地開発公社理事長 |
平成23年 | 吹田市開発ビル代表取締役社長 |
平成30年~ | 南山田地区福祉委員長 |
令和3年~ | 吹田市社会福祉協議会 副会長 現在も同職 |