青春こぼれ話 イン 吹田高校

10期生 森 繁(東京都在住)

 吹田高校には、皇太子(現・上皇陛下)がご成婚された記念の年、昭和34年に入学しました。

 動植物好きの家庭で育った影響で、多種類の動植物を育てた経験が、将来の進路に大きく影響したと感じています。

 高校のクラブ活動は生物部で、最初の調査テーマは「ユリ科の花粉管成長の謎を探る」でした。何故ユリ科の花粉は他の花の花粉に比べてベタつきが強いのか?この疑問から調査活動開始、その内容を発表して「科学技術長官賞」を受賞しました。

 その次の年のテーマは「大阪城堀の生態に関する実態調査」でした。特に魚類調査、どの魚が外来種かを見分けるのですが、資料不足と、動く魚の撮影に苦労した苦い経験がありました。この調査テーマでは、大阪府教育委員会賞を受賞しました。(森 繁・粟生恭二)

 放課後には、英語教師の佐藤先生と囲碁を楽しむ機会があり、強面の先生は対局中も強面でした(笑)。

 高校時代の将来の夢は、「獣医になり、カナダで牧場の仕事に就く」でした。そこで、三年の夏頃からクラスメイトのK君とお互いの家で机を並べて受験勉強に励みました。結果は国立の獣医学部は、〝さくら散る〞。その後、私は明治大学に入学、K君は国立の希望校に進みました。今年K君から当時の勉強スタイルを付記した年賀状が届き、懐かしく当時を思い出しています。

 卒業したその夏には、吹田高校野球部が甲子園出場か⁉という出来事もありました。延長10回、死闘の末、あのPLに惜敗‼(昭和2万5000余名の吹田高校卒業生が実に様々な方面で活躍されておられます。今回も吹田高校の伝統を築いてこられた諸先輩の興味あふれる思い出話や、温かいメッセージをいただきました。こんにちは先輩「こんにちは先輩」のコーナーに、ご登場いただける方を募っております。同封のハガキに推薦枠を設けていますので、ぜひお知らせください。37年大阪大会ベスト4)。最高のドラマを味わえました。当時の野球部の皆さんにありがとうと伝えたいです。

 進学した明治大学農学部研究室では、吹田高校の2年先輩のK氏と共に励んだ事も楽しい思い出です。

 卒業後は、日米の製薬会社、オランダの医療機器メーカーで、主にマーケテングの仕事に従事してまいりました。定年退職後には、医療福祉関係の会社を経て80歳で退職しました。

上段右から5人目が森さん。

 また古希(70歳)を記念して開催した三年五組(恩師 平野勉先生)の同窓会では、参加者は13名で、一同大声で校歌を歌って恩師をお送りしました。人望厚いU君が完璧なクラスメイトのリストを作成してくれて、次に繋げる大きな財産となり、感謝しております。

 私自身としての今後は、三年前に発足した鳳志会関東支部の幹事として、発展に向け微力を尽くします。

 

経歴

昭和37年 吹田高校卒業
41年 明治大学農学部 卒業
農産製造学科(現:農芸化学科)
60年 日本臓器製薬(株)退職
(外資系製薬会社2社経て)
平成20年 (株)Philips Electonics
メディカル事業部 副社長退職
令和6年 (株)ベネッセスタイルケア退職
タイトルとURLをコピーしました