喜寿を迎えての回想

13期生 鬼束 修一(埼玉県在住)

 昭和37年に吹田高校に入学した当時は、周辺に田畑が多く、校内より、エビオスの広告看板が見えたと記憶しています。

 高校時代は放送部に入部し、校内放送の準備、秋の文化祭の放送劇等の制作に携わっていました。

 吹田高校卒業後、地元の関西大学に入学し、ギター部に所属してコントラバスを担当していました。

 その当時、部員が100名以上居り、関西大学ギタークラブ定期演奏会、関西学生ギター連盟合同演奏会(関西大学・関西学院大学・大阪市立大学・大阪大学)に向けての、春、夏の合宿の為、岡山(蒜山高原)九州(湯布院)長野(野尻湖)富山(立山室堂平)他、各地へ出向きました。又、たまたま向かいに落語研究会の部室が有り、学内でも、その当時有名な浪漫亭ちっく、後の桂三枝(現六代目、桂文枝)の姿を時々見かけたものでした。

 大学卒業後、機械商社に入社し、上京、産業機械の販売に従事しました。当時は高度経済成長期で、特に私の担当していた部署は、台所洗剤、シャンプー等の容器が缶や袋からプラスチック容器に移行する時期で、空ボトルの整列供給装置、充填機、キャップ締機等を、花王・ライオン・資生堂様に、多数納品させて頂き、毎年業績は右方上がりでした。

 商社に約10年間勤務後、取引先のメーカーの誘いにより転職、ジョブローテーションにより本来は文系卒で、営業職でしたが、設計・見積積算・購入品の調達等も経験し定年まで約32年間勤務しました。今から、思い起すと、大変な仕事内容でしたが、物作りの基本を勉強させて頂き感謝しております。

 定年退職後、機械商社時代の先輩が起業した、現在の会社にお世話になり、今までの経験を活かして、大手製菓会社等への営業、打合せ、仕様書・見積書作成、設計指示、取り扱い説明書作成等の業務を行っており、今年で喜寿を迎えますが、現役として勤務し、後輩への指示、相談に乗っています。

 昨年7月に開催されました、第1回吹田高校関東地区同窓会では、前年11月末の同窓会準備中に隅谷前会長が、突然逝去され、後任として引き受け、初めての事で戸惑いましたが、各幹事様の協力を頂き、又、鳳志会本部のアドバイスを仰ぎ、会場の手配、諸準備等を終え、佐々木会長にも出席して頂き、何とか無事開催する事が出来ました。出席された先輩方の中には4期生の方が3名もおられ、元気に活動されており、有意義なお話を伺い、大変勇気付けられました。私も少なくとも80才までは勤務を続けようと思いました。

 現在、健康維持と仕事へのモチベーションを上げる為、月3、4回程のゴルフと取引先の若い人達と接して常に刺激をもらっています。

 吹田高校の学生諸君には“苦手な事にも、経験の無い事にも意欲的にチャレンジして将来の自分自身のスキルアップ目指して頑張って頂きたい”と思います。最後に創立74年を迎える、母校の今後益々の発展を期待します。

経歴

昭和40年 吹田高校卒業
昭和44年 関西大学文学部新聞学科卒業
昭和55年 第一実業(株)退職
平成23年 常盤工業(株)常務取締役、退職
令和6年 大和機械販売(株)営業技術チーフリーダーとして在職中
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