沿革

Pocket

昭和   6年  12月 有限責任利用組合立厚生病院看護婦養成所として、鳥取県知事から看護婦養成所の指定を受ける。
  38年    4月 鳥取県中部厚生農業協同組合立厚生病院事業が廃止され、鳥取県立厚生病院の新築竣工に伴い、鳥取県立准看護学院として厚生病院内に移転する。
  39年  12月 鳥取県立高等看護学院管理規則(昭和39年規則第59号)の制定に伴い、准看制を廃止し、鳥取県立倉吉高等看護学院と改称し、進学コースによる養成を開始する。
  51年  12月 保健婦助産婦看護婦法(昭和23年法律第203号)第19・20条第1項第2号に規定する保健婦助産婦養成所としての指定を受ける。
保健婦助産婦看護婦学校養成所指定規則(昭和26年文部省・厚生省令第1号)第3条第1項の規定により、学則変更の承認を受ける。
  52年    4月 鳥取県立保育専門学院との合同校舎の完成に伴い、新たに鳥取県立倉吉総合看護専門学校となり、第1看護学科、第2看護学科及び保健助産学科の3学科編成で発足する。
  55年    4月 鳥取県立倉吉総合看護専門学校後援会が設立される。
  58年    4月 看護士の養成を開始する。
  58年    5月 倉吉市都市計画上灘土地区画整備事業完了に伴い、所在地の町名が南昭和町15番地となる。(昭和58年鳥取県告示第409号)
  58年  10月 優生保護法(昭和23年法律第156号)第15条第2項の規定により、本校が実施する受胎調節実地指導員認定講習は、知事の認定する講習として認定される。(昭和58年10月17日付受健第1635号)
平成   7年    1月 看護学科卒業生が専門士と称することが認められる。
  13年    4月 保健助産学科に推薦入学試験制度を導入する。
  15年    4月 第1看護学科定員が20名から25名に変更となる。
  19年    4月 第2看護学科に社会人入学試験制度を導入する。
  20年    4月 平成21年度より開設予定の助産学科に社会人入学試験制度を導入する。
第1看護学科に従来の特別推薦入学試験制度に加えて、一般推薦入学試験制度を導入する。
  21年    4月 保健助産学科を閉科とし、助産学科(定員16名の1年コース)を新たに開設する。
  23年    4月 第1看護学科の推薦入試制度を指定校推薦入試、公募推薦入試に変更する。
令和   3年    6月 第1看護学科の指定校推薦入試、公募推薦入試を推薦入試のみに変更する。