同窓生へのインタビュー4

森川 寛之 (学部7回生)
医学部附属病院 周産母子センター NICU (三重県津市)

2025年4月現在

Q. 卒業後(から現在まで)の進路は?

同窓生インタビュー

A. 私は看護学科7期生として入学し、2008年3月に卒業しました。同年4月に三重大学医学部附属病院へ就職し、整形外科病棟へ配属されました。当時は病院としても男性看護師が少ない中、先輩の中に一名の男性看護師がみえました。色々と相談に乗ってくださり、学会への参加やプライベートでも良い時間を過ごした思い出があります。また、股関節の手術(THA)をした患者さんへのケアについて看護研究を行い、学会発表を経験する事が出来ました。その後、東日本大震災をきっかけに災害看護に関心を抱きました。このタイミングで災害派遣の機会を頂き、発災から三か月後の6月に宮城県石巻市へ派遣されました。現地では避難所となっていた、渡波小学校の保健室で応急救護所の支援として活動させて頂きました。
 この経験から災害医療や救急医療を強く志し、2012年に日本DMAT隊員の資格を取得し、配属部署も急性期医療を学ぶために心臓血管外科・呼吸器内科外科を経て、救命救急・総合集中治療センターへと異動しました。コロナ禍において、ご家族が面会出来ない状況の中での患者・家族へのケアや、乳幼児のお看取りなど多くの経験をさせて頂きました。
 現在は2024年4月から新生児集中治療室(NICU)へ異動し、早産児や先天性心疾患等の児へのケアを行っています。その他、メディカルラリーの運営(医師・看護師・救急救命士がチームを組み、災害や救急医療のシナリオを競う競技会)やINARSインストラクター(心停止回避のシミュレーション教育)として活動をしています。

Q. 看護師を目指したきっかけは?

A. 私自身、もともと体を動かすことが好きで、いわゆる『体育大好き人間』でした(笑)。そのため、必然的に運動に関わる仕事に就きたいと思い、体育教師を目指して大学受験をしました。しかし、受験の実技対策中に靭帯断裂を経験し、受験も失敗しました。その後、進路変更を考えていた時に入院や手術、リハビリの経験から医療への道を考えはじめたのが、看護師を目指したきっかけになります。

Q.看護師として大切にしている思いや姿勢は何ですか?

A. 大切にしている思いは『患者・家族へ寄り添う』ことです。災害派遣や救急の経験が大きく関わっていますが、「その場での最善は何か」「その場でどんな声がかけられるか」を常に考え、ケアをしています。救急の現場では患者さんが救急車で搬送され、ご家族が同乗している事が多いです。車内から降りて、最初に声をかけるのは看護師になる事があります。「何と声をかけるべきか?」。状況によって違いますが、私は動揺している家族へ励ましや、労いを意識することが多いです。家族は患者に対して後悔の念や不安を感じる事が多いと言われています。「あなたが救急車を呼んで頂いた、おかげで早期の治療につながっています。ありがとうございます。」と、声をかけ、ご家族へのケアをしています。

同窓生インタビュー

 乳幼児へのケアでは、刻々と状態が悪化し、治療限界が近づいている児がいました。家族は死への恐怖や無力感を感じると言われています。私は看護師である前に、三児の父親でもあります。この場面で「親なら何がしたいか…」を考えた時、児へのケアは“抱っこ”になりました。どちらの場面も、そのケアが最善であったかは分かりません。しかし、『患者・家族へ寄り添う』を考え、出した答えとケアになります。その時、その場面で変化していく状況に、応じていける事が看護師として問われていることだと思い、今後もこの思いや姿勢は大切にしていこうと考えています。