28回生 鈴木 政江 様

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第三回目は被服科の卒業生であり現役桜台教員(ファッション文化科)の鈴木様にお願い致しました。

鈴木 政江さん 28回生(昭和52年卒業)

【私と桜台校】

私は、高校時代の3年間に加え、縁あって桜台の教員となり、31年もの時を桜台で過ごしました。今年95周年を迎える桜台の歴史の3分の1です。私の人生の5分の3を桜台で過ごしたことになります。

【桜台との初めての出会い】

初めて桜台を訪れたのは小学校(笠寺小)の地域探索の授業です。近隣の旧東海道と一里塚、見晴台遺跡、グランドの横にある八幡社を探索し、桜台でトイレを借りるというコースでした。子どもだった私の目には、丘の上にそびえ立つ桜台の校舎が堂々として、とても眩しく映りました。

【ファッション文化科(被服科)に進学するまで】

子どものころ、毎日遊んでいた友人には裁縫の腕の立つお母様がいて、仕事場にはいつも豪華な留袖や振袖が掛けられていました。友人姉妹は、いつもお揃いの手作りの洋服を着ていて、それが羨ましく「私もあんなお母さんになりたい」という気持ちが芽生え、着せ替え人形の服作りに夢中になりました。その頃、桜台は新聞によく折紹介される評判の良い学校で「桜台には被服科もあって、専門教育のレベルが高く、桜台へ進学すれば洋服も和服も思いのままに作れる技術が身に付く」という話を聞き、小学校を卒業する頃には桜台被服科へ進学することを心に決めていました。

【思い出に残る授業】

大量生産実習という授業があり、調理実習で使う割烹着を2年生が80着、夏のセーラー服を3年生が100着作り、在校生に販売していました。セーラー衿の白い3本線を縫い付ける役割はクラスでも選び抜かれた数名のメンバーだけでした。

3年になると「外注品の生産」という授業が週2時間あり、オーダーメードの服や、きものなどを仕立てていました。私は和服担当で、名古屋帯、浴衣やウール、袷の着物も数着作り、1年で20着以上の作品を仕上げました。このような失敗の許されない仕事なのに、当時の先生方はよくぞ私達生徒を指導して下さったと、教員という立場を経験し、改めて感じています。

体育では、懸垂のテストが学期ごとにあり、前回より回数が減ると成績も下がりました。

昼休みには大勢の生徒が鉄棒にぶら下がって練習していました。その鉄棒は40年経った今も、グランド南の砂場横に健在です。「はじめからがんばらないほうがいいよ」と悪知恵を授けてくれる友達もいました。

【生徒の頃の桜台と教員になってからの桜台との違い】

数え上げたらきりがありませんが、母校へ戻り驚いたのはファッションショーのレベルが、作品も演出もはるかに高くなっていたことでした。「技術だけでは駄目。桜台の作品はデザインの美しさが無ければいけません」「マンネリに陥らないように、少しでも時代を先取りした新しさを」「より美しく、より早く、良い製品ができるよう工夫・改善をしよう!」先生が、何時も口にされていた言葉です。そんなご指導の精神がずっと受け継がれ、「被服科」が「ファッション文化科」となった今も進化し続けているのだと感じました。

ショーのプログラムは、学校で印刷したプリントを二つ折りにし、ホッチキスで綴じていました。1,2年生の人海戦術です。ランウエーは、実習用の机を運び体育館に並べて作っていました。現在使用しているランウエーや舞台装置は、第1回ファッションショーが開催された時に学生であった滝沢(旧姓山田)美紗子さんのご遺族が、美紗子さんの母校へと平成24年に寄付して下さったものです。滝沢様には他にも多くの物品を、授業の充実のため寄付していただきました。「いろいろな方が、見えない力で支えてくださっているのだ」と感じ、感謝の思いで一杯です。

被服実習室は、現在2棟の3階と4階にまとまってありますが、以前は和服実習室が本館4階の中央階段あたりにあり、「和」「洋」がバラバラでした。現在和服実習室がある2棟4階は「地学」「物理」の実験室でした。その名残でプラネタリウムだけは今も2棟4階の屋根裏にあります。

名古屋まつりナナちゃん隊、市政資料館でのファッションショー、エシカルファッションショー、シニアファッションショー、工芸高校とのコラボなど・・・学校外の方々との交流が広がり、桜台ファッション文化を幅広く多くの方に知ってもらえるようになりました。

【生徒の頃も教員になってからも変わらない事】

丘の上にそびえ立つ本館校舎の姿。2棟も体育館も当時のままの姿です。その姿とともに「技術・感性・革新」という先輩の先生方が築かれたファッション文化科のスピリットも変わることなく受け継がれています。

【趣味・これからやってみたいこと】

美術・工芸、古い建築、最近は歴史に興味があります。美術館の企画展中に開催される講座を受講したり、建物を巡る旅、焼き物(陶磁器)を巡る旅などをしてみたいです。

渥美の田原市に、農業をしていた義父が残した果樹園(甘夏みかん・昔の味の温州みかん少々)があります。地下1メートル以上掘り下げ果樹園向けに土壌改良したとか。そのおかげで、義父が亡くなってだれも手入れできなくなった後も、土はふかふか、毎年甘い実をつけ皮はさわやかな香りです。「ピールやマーマレードにしたい」「無農薬のものが欲しい」という方からの注文があり、夫が一人で管理しているので、時間に余裕ができたら、手伝えればと思っています。

先輩から後輩へと受け継がれてゆく桜台の絆。卒業してからも後輩たちを応援してくださいね!

(編集者より)

私もファッション文化科だったので、鈴木先生に和裁を教わり大変お世話になりました☺️

当時は先生ご自身のお話を詳しく聞かせて頂く機会はありませんでしたが、頂いた原稿を読んで先生の桜台高校への想いに胸が熱くなりました。

たくさんの先輩方の努力や挑戦の積み重ねで桜台高校は守られ育ってきたんだなぁと、改めて良い環境で学ばせて頂いた感謝の思いでいっぱいです。

鈴木先生は今年度で定年退職をされます。

31年もの長きにわたり本当にありがとうございました‼️