24回生 杉本 憲広 様

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第26回目は杉本憲広様にお願い致しました。

杉本憲広さん 24回生(昭和48年卒業)

普通科 バレーボール部

【卒業後の略歴】

一浪して名古屋大学理学部に入学。物理学者を志しました。大学院の博士課程まで進みましたが、能力の限界を感じて学位取得後は名古屋市立高校の教員に。高校時代には先生だけは自分に合わないと思っていたのに、やりだすと意外と面白い!そのまま30年働きました。

平成8年には母校桜台高校に転勤!ここで山中弘桜丘会会長と運命の(?!)出会い。そして、平成16年の創立80周年記念行事では事務局をさせていただきました。

山岳スキー部はもう跡形もなかったですが、その意志を継いでアウトドア部を作りました。結構活躍して、インターハイ全国大会出場や国体少年の部で5位に入賞しました!

現役教員中は、愛知物理サークルの先生方と物理実験を研究していました。メンバーの共著。「いきいき物理わくわく実験」はシリーズもので高校物理実験のバイブル的存在に。(手前みそです)また、アメリカ、中国、ヨーロッパでの国際会議にはよく参加し派手に手作り実験を発表し喝采をあびました。(これまた手前みそ)

2016年、退職を前に海外ボランティアを次の仕事に決定。JICAからパプアニューギニアに2 年間派遣されました。仕事内容が理科実験だったので大いに楽しみ、帰国後に再度応募し、今度はアフリカのガーナへ。ガーナには山中会長も訪問していただき、ガーナ北部を探検しました。(写真はモレ自然保護区を訪問した時のもの)昨年3月に日本へ戻り、現在は国外にも出られないこともあり向陽高校で非常勤講師をしています。

【桜台高校での思い出】

ぱっとした思い出はないのですが、部活動はバレーボール部員として頑張っていましたね。あの頃はミュンヘンオリンピックで日本が活躍していて男子バレーがメジャーなスポーツでした。あこがれてクイックやフライングレシーブの練習に明け暮れていました。ただし、強いわけではなく、隣のコートで超超厳しい練習をしている井上フミ先生率いる女子バレー部を横目でみながら「男子バレーでよかった」と思っていました。

あと、今思えば、先生方がくせ者ぞろいで実に面白い時代だったと思います。私が教わった中でも、だみ声の大橋先生、紙を丸めて机をバンバンとたたく嶋田先生、漢詩を読む物理教師の鬼塚先生、「だから子どもは嫌いだ」といいながら切れのある授業をする伊藤先生などなど、自分が教員になった後と比べるとあの頃の先生方はまるでカンブリア大爆発で誕生し絶滅したユニークな生物のような感じがします。(失礼な形容か?!)とにかくいい時代に自由で活気のある桜台高校で夢多き学生時代を過ごせて幸せに思います。

【現在のご活躍】

教員の現役を終えて、海外ボランティアもひと段落の現在、物理の非常勤講師の傍ら物理実験装置の開発、JICAの海外ボランティアの広報の手伝いなどをしながら次の一手を探しています。手作り実験の普及が私のライフワークだと思っているので、国内外を問わずグローバルに活動を広げたいと思っています。

私の目指す実験は、教室でそれを先生が演示したり、生徒に実験をさせたりすることで生徒を感動させて物理に引き込むような実験です。そこには楽しさや美しさや意外性などが必要な要素となりますが、何より物理的な深さが重要となります。(よくでんじろう先生の実験と一緒にされますが、目的も中身もちがいます)コロナが収まり次第、私が属する研究会(愛知物理サークル)も再開します。物理実験に興味のある方はぜひともご一緒に!!

(編集者より)

在校中は私も物理でお世話になった杉本先生。授業の中でも様々な実験をしてくださいました。今も物理の世界でグローバルにご活躍されていてかっこいいですね!

高校時代のユニークな先生方のエピソードも細かく覚えていらっしゃって目に浮かぶようです。確かに癖が強いかも⁉️

先生の物理愛がたっぷりと伝わるお話ばかりでまた先生の授業を受けてみたくなりました。

インタビューにご協力いただきありがとうございました‼️