29回生 今村 浩一 様

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第47回目は今村浩一様にお願い致しました✨
今村浩一さん 29回生(昭和53年卒業)
普通科 バスケットボール部
【🌸卒業後の略歴🌸】
同志社大学経済学部に入学。
4年生の秋に桜台で教育実習をしました。何と実習生が40名いました。愛知県などの教員採用試験に受かったのですが、諸般の事情で辞退し、卒業後は名古屋に本社がある大同特殊鋼に入社。経理(原価管理)、総務(人事・労務、教育)、物流管理の各部門を経験し、約8年間勤めました。
総務課で教育を担当したこともあって、教職への想いが断ちがたく、30代になってから商業実務の専門学校教員を経て、公立高校の社会科教員になりました。初めの2年間は千葉県で、以後定年退職までの30年近くを愛知県立高校で勤めました。全て西三河地区の学校です。
平坦な人生でなく紆余曲折を経ましたが、家庭を持つこともでき、良いめぐりあわせに恵まれたと思います。最終的には教育実習で面倒を見ていただいた先生方に恩返しできたと思います。
仕事の合間に、名古屋市立大学の大学院で経済学を学び、修士の資格を得ることもできました。
【🌸桜台高校での思い出🌸】
健康づくり、受験のための体力増強の目的でバスケットボール部に入りました。補欠部員でしたが、県大会に出場し、インターハイ常連校と対戦した時も、出場させてもらいました。
それよりも没頭していたのが「桜台研究」です。きっかけは2年生のときに、正課クラブで顧問の藤下清先生のご好意で、当時休眠状態だった新聞部の部室に入らせてもらい、昭和30年代から40年代にかけての桜台高校新聞を隅から隅まで読ませていただいたことです。
また、室長をしたおかげで学年代表にも選ばれ、生徒会室で校誌桜人のバックナンバーも精読しました。おかげさまで、当時の桜台高校の様子が手に取るようにわかりました。たぶん新転任の先生のだれよりも桜台のことを知悉していたと思います。
3年生のとき、英語の嶋田計男先生が授業で「君は卒業生の○○くんと似ている」と言われたときも、10年先輩にあたる○○くん(京都大学を卒業された方です)のことを知っていました。周りはポカンとしていましたが…。24回生が著した桜台がモデルの「高校生狂詩曲」(昭和48年、高校生文化研究会発行)も読破し、桜台研究に大いに役立ちました。
【🌸現在のご活躍🌸】
4年前に定年退職し、現在は再任用教員の5年目で短時間勤務をしています。ことし65歳を迎え、来年からは地元幸田町で自治会長(行政区長)をする予定です。定年後の新たなフロンティアを切り拓くつもりで、ささやかながら地域貢献をしていく所存です。
また29回生は比較的結束が固く、桜会と称する学年同窓会をコロナ禍以前は2年に1回のペースで開催してきました。5年前の還暦同窓会を最後に開かれていませんが、再開が待たれるところです。一足先にバスケットボール部では昨年、顧問の横田栄先生を囲んで同窓会を開きました。
【🌸桜台高校100周年に寄せて🌸】
昭和50年、前年に桜台50周年行事があった翌年に入学したので、50周年記念誌をもらえなかったのは、「桜台研究」を旨としている自分にとっては至極残念なことでした。ぶしつけながら、余っていたら今からでももらえませんか。
50周年から100周年までは瞬く間に過ぎた感があります。100周年のつどいに同級生が大勢参加されることを期待しています。
(編集者より)
「桜台研究」‼️初めて聞いた活動でしたが、今聞くとかなり楽しそうですね✨校誌桜人は55回生の私も記憶にあるので、長年受け継がれてきた伝統を感じました☺️