27回生 市原 義雄 様

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皆様、いつもありがとうございます☺️
桜丘会の会員様に高校時代の思い出や卒業後の進路、現在のご職業や活動についてお伺いし、記事として紹介させていただきます。
懐かしい思い出を共有して楽しんで頂いたり、様々な分野でご活躍される皆様のさらなるご発展の一助となれば幸いです。
第41回目は市原義雄様にお願い致しました✨
市原義雄さん 27回生(昭和51年卒業)
普通科 軟式テニス部
【🌸卒業後の略歴🌸】
名古屋大学医学部卒業、国立名古屋病院、東海市民病院、愛知県総合保健センターなどを経て、現在、名古屋鉄道健康保険組合名鉄病院。
【🌸桜台高校での思い出🌸】
初めての学校郡制度のもとでの高校受験で、合格発表まで、どちらの高校に入学するのかわからなかった。意図した学校に入学できなくて私立に入った友人もいた。私は桜台高校で医師を目指して頑張ったつもりだった、一浪の憂き目にあい、翌年名大医学部に入学した。高校時代から今に至るまで、大谷選手のような曼荼羅の目標は立てたことはなく、ただ、目の前のやるべきことをやっていくという姿勢だったと思う。
医師になってからは、循環器内科医として病院勤務を地道に続けてきたと思っている。既に定年を過ぎているが、循環器内科に若手が入らず、未だに第一線に立たされている。いつまで出来るか不安になるが、高校時代の部活が基礎体力の向上に役立ったようだ、その体力のお陰で何とか続けている。当時は、テニスコートは1面しかなく、曜日により男女交代で使用していた為、コートが使えない日は、基礎トレせざるを得なかったという事情にもよる。医師になってからは、どういうわけか元山岳スキー部顧問のT先生に誘われて登山を始め、それが今に至っている。体を動かしていたことが、長く務められた一つの要因だったように思う。スポーツ医として国民体育大会に帯同したことも何度かあった。
【🌸今皆さまに伝えたいこと🌸】
少子高齢化で、現在の医療制度は、正直言って制度疲労を生じている。将来的に、現在と同様に、何時でも誰でもある一定以上レベルの医療が受けられるかどうか、不安に感じざるを得ない。10年以上前に上梓された新潮新書 村上智彦著「医療にたかるな」を紹介したい。財政破綻した夕張市に赴任した医師の赤裸々な告白だが、これが我が国の近未来を暗示しているように思えてならない。自分の健康は自分で守るという姿勢が必要になってくるだろう。健康の三要素は、栄養・休養・運動とされている。
健康情報に限らず、非常に多くの雑多な情報がインターネットから得られるが、そうした情報が真実かどうかは、自ら判断していく必要がある。特に生成AIの登場でますます真実を見極めることが難しくなってきている。これからを生きていくには、情報真偽の判断能力(リテラシー)が不可欠になると思う。
【🌸桜台高校100周年に寄せて🌸】
次の100年後も、同じようにお祝いできることをお祈り申し上げます。
リテラシーに関係して、ゲーテの至言を紹介したいと思います。スマホで簡単に翻訳できると思います。
«Man sieht nur, was man weiss.»
(編集者より)
高校時代の鍛錬が現在のご活躍の基礎となられているとのメッセージ、学生時代に全く運動に親しんでいなかった編集者は身につまされます💦
最後の一文は皆さまは翻訳されましたか❓インターネットの情報に頼っているとこの言葉の通りになっているのを感じます。先輩からのご助言、しっかり受け止めました☺️