27回生 二村 幸基 様

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第18回目は二村幸基様にお願い致しました。

二村幸基さん 27回生(昭和51年卒業)

普通科

【卒業後の略歴】

名古屋大学工学部電子工学科、名古屋大学大学院工学研究科電子工学専攻修了後、三菱重工業に入社。

【桜台高校での思い出】

私たちは当時新設された学校群制度(今は制度も全然違っているようですが)の最初の入学生で、実は志望校とは異なる桜台高校に振り分けられました。高校進学後はラグビーをやりたかたのですが、桜台にはラグビー部がなく、同級生と体を鍛えるための同好会を勝手に作って活動していました。

また、物理部通信班でアマチュア無線を楽しみ、阿部公房に影響を受けて小説を書いたり、好きな水彩画を描いたり、気の向くままやりたいことを手当たり次第にやっていました。

今にして思えば、桜台という高校は、あまりあくせくせず自らのペースで学校生活を楽しめたので、良い高校生活だったと思っています。

【現在のご活躍】

1982年4月に入社後は、宇宙ロケットなど宇宙機器開発設計者一筋で仕事を続け、2011年7月から2019年3月までの約7年半、「ロケット屋」としての集大成とでも言いましょうか、日本の大型ロケットH2A/H2Bロケットの打上執行責任者という仕事をしてきました。

打上執行責任者というのは、簡単に言えば、最終的にロケットを打ち上げるかどうかを決める仕事です。何が起ころうとも判断に対する最終責任を持つ立場ですので、人々からは「神経すり減るでしょ?」とか「緊張は半端じゃないでしょ?」などと言われてきましたが、実際は最後に「GO/NO GO」を決めることができるただ一人の人、ということで、実はそんな立場をとても楽しんでいました。

責任者として計26機の打上を指揮し、すべて成功させることができ、2019年3月末をもって、執行役員フェローを退任するとともに、打ち上げの責任者も後輩に委ねました。

4月からはフェローアドバイザという立場になり、後に続く人たちの育成指導や技術的なアドバイス、様々な場所での講演、宇宙ベンチャー企業の起業家の人々との交流、など、これ迄とはまた違った視点での仕事をしています。

小学校6年生の時に、人類が初めて月に降り立つ様子を生中継で見て、宇宙開発に興味を持ってから早や50年。今、私は還暦を過ぎましたが、いまだに自分の好きな宇宙ビジネスに関わっていられることに、幸せを感じて日々を過ごしています。

https://www.1101.com/oshigoto/mhi/index.html

(編集者より)

ロケットの打上執行責任者というとてつもない重責を長きにわたり担われていた二村さんですが、その立場を楽しまれていたというのが非常に印象的でした☺️大好きなことに携われる喜びを感じます!とても素晴らしいことだと思います。

高校時代は多趣味にたくさんやりたいことをして充実されていたようですね。桜台高校は落ち着いた校風で、好きなことにのびのび取り組める環境があるという内容には私も共感しました。

インタビューにご協力いただきありがとうございました‼️